萬屋錦之介の妻は誰?有馬稲子・淡路恵子・甲にしきの結婚歴を2026年版で徹底解説
昭和を代表する時代劇スター、萬屋錦之介(よろずや・きんのすけ)の妻は誰だったのでしょうか。生涯に結婚した女性は、女優の有馬稲子、淡路恵子、宝塚歌劇団出身の甲にしきの3人です。最初の結婚は1961年、2度目は1966年、3度目は1990年。2度の離婚を経て、晩年をともに過ごしたのが甲にしきでした。
一方、萬屋錦之介の結婚歴には、淡路恵子との21年間に及ぶ結婚生活、甲にしきとの関係をめぐる報道、1997年の葬儀に元妻2人が参列した出来事など、今も関心を集めるエピソードがあります。2026年現在の情報も踏まえ、結婚時期や離婚理由、子供、家族構成、晩年までを時系列で整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 妻は3人:有馬稲子、淡路恵子、甲にしきの順に結婚した。
- 結婚・離婚歴:1961年に有馬稲子と結婚、1965年に離婚。1966年に淡路恵子と再婚し、1987年に離婚。1990年に甲にしきと再々婚した。
- 子供:淡路恵子との間に実子の息子が2人。淡路が前のパートナーとの間にもうけた息子2人も家族となった。
- 葬儀:1997年の葬儀には、最後の妻・甲にしきだけでなく、有馬稲子と淡路恵子も参列した。
- 晩年:中咽頭がんの手術を受けた後、1997年3月10日に肺炎のため64歳で亡くなった。
【結論】萬屋錦之介の妻は3人!有馬稲子・淡路恵子・甲にしきとは?
萬屋錦之介の結婚相手は、次の3人です。いずれも芸能界で活躍した女性で、それぞれ異なる時期に錦之介の人生を支えました。
- 1人目:有馬稲子……映画・舞台で活躍した女優。1961年に結婚し、1965年に離婚。
- 2人目:淡路恵子……映画やテレビで活躍した女優。1966年に結婚し、1987年に離婚。
- 3人目:甲にしき……宝塚歌劇団の男役トップスターとして知られた女性。1990年に入籍し、錦之介の最期まで妻として寄り添った。
ここで注意したいのが、萬屋錦之介という芸名です。1961年に有馬稲子と結婚した当時、彼は「中村錦之助」を名乗っていました。1972年に萬屋錦之介へ改名しているため、検索される「中村錦之助の妻」と「萬屋錦之介の妻」は、基本的に同じ人物の結婚歴を指しています。
国立国会図書館の典拠情報や歌舞伎俳優名鑑でも、本名・小川錦一、旧芸名・中村錦之助、萬屋錦之介という人物の変遷が確認できます。

【初婚】萬屋錦之介と有馬稲子の結婚・離婚理由は?
最初の妻は、映画や舞台で活躍した女優の有馬稲子です。2人が出会ったきっかけは、1959年に公開された映画『浪花の恋の物語』での共演でした。
1961年に結婚、1965年に離婚
有馬稲子と萬屋錦之介は1961年に結婚しました。当時の錦之介は中村錦之助として活動しており、東映時代劇を代表するスターとして人気を集めていました。
一方、有馬も映画界で評価を高め、舞台女優として新しい挑戦を始めていた時期です。結婚後もそれぞれの仕事が充実し、互いに多忙な日々を送るようになりました。
BSテレ東の番組「日経スペシャル 私の履歴書」で紹介された有馬の人生によると、2人は仕事が忙しくなるなかで生活のすれ違いが生じ、1965年に離婚しています。
つまり、最初の結婚については、仕事や女優としての活動をめぐる生活上のすれ違いが大きな背景にありました。
離婚後の有馬稲子は舞台女優として活躍
離婚後の有馬稲子は、舞台を中心に活躍の場を広げました。1966年には帝国劇場の『風と共に去りぬ』でスカーレット・オハラを演じ、舞台女優としての地位を確立していきます。
その後も『はなれ瞽女おりん』などの舞台で高い評価を獲得。長期間にわたって演劇活動を続けました。
有馬は錦之介との離婚後も女優としての道を歩み続け、1997年の元夫の葬儀にも参列しています。2人の結婚生活は4年ほどでしたが、後年まで関係が語られることになりました。
【結婚歴の年表】萬屋錦之介と歴代妻3人の結婚・離婚時期を比較
3人の妻との関係を理解するには、結婚・離婚の時期を並べると分かりやすくなります。公刊された人物事典、テレビ局の人物紹介、当時の報道を整理すると、次のようになります。
| 妻・関係者 | 結婚・関係の時期 | 離婚・その後 |
|---|---|---|
| 有馬稲子 | 1961年結婚 | 1965年離婚。女優・舞台女優として活動 |
| 淡路恵子 | 1966年11月20日結婚 | 1987年1月離婚。2014年に死去 |
| 甲にしき | 1990年入籍 | 1997年、錦之介と死別 |
この年表から分かるのは、最初の結婚から最後の結婚まで約29年間にわたり、3人の女性との婚姻関係が続いたことです。
また、淡路恵子との結婚生活は約21年間と長く、3人の中でも特に長い期間をともに過ごしています。錦之介の芸能活動だけでなく、事業の失敗や病気など、人生の大きな転換点を共有した相手でもありました。
【再婚】萬屋錦之介と淡路恵子の結婚生活・離婚理由を解説
2人目の妻となった淡路恵子は、萬屋錦之介の人生を語るうえで欠かせない存在です。結婚生活は1966年から1987年まで約21年間。4人の息子を含む家族の生活を支え、夫の仕事や経済的な困難にも向き合いました。
映画『丹下左膳』での共演が再婚のきっかけ
2人が結婚するきっかけとなったのは、映画『丹下左膳』での共演です。
日刊スポーツの2014年1月の人物記事によると、2人は1966年11月20日に結婚しました。当時の錦之介はまだ中村錦之助の芸名を使っていた時期です。
淡路には、それ以前のパートナーであるフィリピン人歌手ビンボー・ダナオとの間に2人の息子がいました。錦之介との結婚は、2人の息子を連れた再婚でした。
さらに、結婚後には錦之介との間にも2人の息子が誕生しています。こうして家族は4人の男の子を中心とした構成になりました。
夫の事業倒産と重症筋無力症で苦しい時期に
結婚生活の大きな転機は1982年でした。
錦之介が経営していた中村プロダクションが倒産。日刊スポーツの報道では、負債総額は12億7,000万円に達したとされています。
さらに同年、錦之介は重症筋無力症を発症して入院しました。俳優としての活動を続けることが難しくなり、経済面と健康面の両方で家族に大きな負担が生じます。
淡路は借金返済を支えるため、六本木の高級クラブでママとして働いていたことも報じられています。家庭を支えながら夫の復帰を支援するという、非常に厳しい時期でした。
錦之介は手術を経て回復し、1983年にはテレビドラマ『子連れ狼』で復帰を果たします。しかし、夫婦の関係が以前の状態に戻ることはありませんでした。
離婚理由は甲にしきとの関係だった?
萬屋錦之介と淡路恵子の離婚理由として報じられたのが、甲にしきとの関係です。
日刊スポーツの2014年1月12日付の記事によると、1986年9月に夫婦の別居が明らかになり、甲にしきとの不倫関係も報道されました。その後、1987年1月に正式離婚しています。
日刊ゲンダイの過去の芸能報道でも、甲にしきとの関係が淡路との結婚生活に影響を与えた経緯が紹介されています。
ただし、事業の倒産や病気、借金問題と不倫報道は、それぞれ別の出来事です。離婚の直接的なきっかけとして当時報じられたのは甲にしきとの関係であり、経済的困難だけを離婚理由とする説明は正確ではありません。
長年夫を支えてきた淡路にとって、結婚生活の終わりは大きな出来事でした。
【再々婚】萬屋錦之介と甲にしきの結婚、そして3人の妻が集まった葬儀
3人目の妻は、宝塚歌劇団の男役トップスターとして活躍した甲にしきです。
甲は淡路との離婚に至る時期から錦之介との関係が報じられていた女性で、1990年に正式に入籍しました。錦之介の最後の妻となり、1997年の葬儀では喪主を務めています。
1990年に甲にしきと再々婚
甲にしきは宝塚歌劇団出身の元女優です。日刊ゲンダイの2013年の記事では、1990年に入籍したことが紹介されています。
淡路との離婚は1987年1月ですから、正式な離婚から約3年後に甲との婚姻関係が成立したことになります。
この結婚によって、錦之介の結婚歴は3回となりました。甲は錦之介が病気と闘った晩年にも妻として寄り添い、最後まで生活をともにした人物です。
1997年の葬儀に元妻の有馬稲子と淡路恵子も参列
萬屋錦之介が亡くなったのは1997年3月10日です。葬儀は同月14日に東京・芝の増上寺で営まれました。
日刊ゲンダイの2013年8月の回顧記事によると、葬儀には約3,000人のファンが集まりました。芸能関係者の注目を集めたのは、最後の妻である甲にしきだけでなく、元妻2人も参列したことです。
有馬稲子は最初の妻、淡路恵子は2番目の妻でした。2人とも離婚後に別々の人生を歩んでいましたが、錦之介との最後の別れに足を運んだのです。
当時の報道によると、有馬は膝の手術を受けたばかりで、松葉杖を使いながら参列しました。淡路も焼香に訪れ、錦之介との過去について複雑な思いを抱えながらも、最後の別れを告げています。
特に淡路は、甲に対して労をねぎらう趣旨の言葉を述べたと報じられました。
この葬儀は、単に3人の妻が顔を合わせたという話ではありません。長い結婚生活、離婚、再婚、そして闘病という年月を経て、それぞれの立場で錦之介を見送った出来事でした。

【子供・家族構成】萬屋錦之介と淡路恵子の息子は何人?
萬屋錦之介の子供について調べると、2人という情報と4人という情報が見つかることがあります。この違いは、淡路恵子が錦之介との結婚以前にもうけていた子供の存在によるものです。
淡路恵子との間に生まれた実子は2人
日刊スポーツの報道によると、淡路恵子にはビンボー・ダナオとの間に2人の息子がおり、萬屋錦之介との再婚後にも2人の息子が誕生しました。
つまり、淡路の家庭には合計4人の息子がいました。そのうち錦之介との間に生まれた実子は2人です。
この区別を理解しておくと、萬屋錦之介の子供の人数に関する情報の違いも整理できます。
長男・島英津夫は錦之介の義理の息子
4人の息子のうち、長男として知られるのが俳優の島英津夫です。島は淡路とビンボー・ダナオとの間に生まれ、1966年の再婚によって錦之介の義理の息子となりました。
島は俳優として活動し、萬屋錦之介ともドラマや映画で共演しています。2012年には「萬屋錦之助一座 ざ☆よろきん」を立ち上げ、父と慕った錦之介の名前や時代劇の文化を次世代に伝える活動を始めました。
日刊スポーツの2012年6月の報道では、島自身が義理の息子であることに触れながら、錦之介の名を残したいという思いを語ったことが紹介されています。
三男と四男は両親より先に亡くなっていた
淡路と錦之介の間に生まれた2人の息子については、悲しい出来事も報じられています。
三男の小川晃広は1990年7月31日、22歳でバイク事故により亡くなりました。また、四男も2010年6月に36歳で亡くなっています。
2014年に淡路が亡くなった際、日刊スポーツなどの報道では、淡路の自室に錦之介や先立った息子たちの写真が飾られていたことが紹介されました。
淡路は離婚後も錦之介との思い出を大切にしていたとされ、長男の島も母の人生を振り返るなかで、元夫への深い思いを伝えています。
なお、家族構成を整理すると、錦之介との実子2人と、淡路の前のパートナーとの間に生まれた義理の息子2人という関係になります。4人全員を錦之介の実子として扱うのは正確ではありません。
【晩年と死去】萬屋錦之介は何歳で亡くなった?最期まで支えた妻
萬屋錦之介は1932年11月20日生まれ、1997年3月10日に亡くなりました。享年64歳です。
俳優としての晩年は、病気を乗り越えて復帰する一方、再び大きな病と闘う年月でもありました。
重症筋無力症を乗り越えて俳優に復帰
1982年、中村プロダクションの倒産と重症筋無力症の発症が重なり、錦之介は俳優活動の継続が難しい状況に追い込まれました。
しかし、治療と手術を経て回復し、1983年にはテレビドラマ『子連れ狼』で復帰します。その後も時代劇を中心に活躍し、1991年の『雲霧仁左衛門』や1994年のNHK大河ドラマ『花の乱』などに出演しました。
歌舞伎俳優名鑑でも、映画・テレビ・舞台で幅広く活躍した俳優として記録されています。
1996年に中咽頭がんの手術を受ける
1996年春、錦之介は喉の不調を訴え、検査の結果、中咽頭がんと診断されました。
同年7月18日には、扁桃と舌の一部を切除する手術を受けています。手術後は声を出すことが難しくなり、日常の会話は筆談、食事も流動食が中心となりました。
それでも本人は舞台への復帰を望み、発声のトレーニングに取り組んでいたと日刊ゲンダイは報じています。
1997年2月21日には一時退院が許されましたが、同月25日に高熱を発症。肺炎を併発し、3月10日午後2時41分、千葉県柏市の国立がんセンター東病院で亡くなりました。
最後の妻・甲にしきが最期を看取った
闘病中、甲にしきら親族は錦之介の回復を願って病床を支えていました。亡くなった際、甲は最後の妻として葬儀の喪主を務めています。
有馬稲子や淡路恵子が葬儀に参列したことも含め、錦之介の最期は3人の妻との関係を振り返る機会となりました。
なお、2人目の妻だった淡路恵子も2014年1月11日に食道がんのため80歳で亡くなっています。2014年の葬儀では、錦之介の写真や愛用していた品が飾られ、息子の島英津夫が母の遺志をくんだ葬儀を執り行いました。
2026年10月現在、萬屋錦之介本人は没後29年となります。新たな結婚歴や本人の近況が生じているわけではなく、確認できる最新の情報は、こうした公刊資料や過去の報道に残る人生の記録です。
【プロの結論】萬屋錦之介の妻と家族史から分かる3つの重要ポイント
萬屋錦之介の結婚歴を整理すると、単に3人の女優と結婚したという事実だけでは、その人生の全体像は見えてきません。
特に押さえておきたいのは、次の3点です。
1. 3人の妻にはそれぞれ異なる役割があった
有馬稲子は映画と舞台の世界でともに活躍した最初の妻。淡路恵子は約21年間にわたって家庭を築き、経済的な危機や病気にも向き合った2人目の妻。甲にしきは再々婚後、錦之介の晩年をともに過ごした最後の妻でした。
それぞれの結婚生活は、錦之介の俳優人生の異なる時期と重なっています。
2. 離婚理由と家族の事情は分けて理解する
有馬稲子との離婚は、仕事の忙しさによるすれ違いが背景にありました。一方、淡路恵子との離婚では、甲にしきとの関係が当時の報道で大きく取り上げられています。
また、子供についても、淡路の前のパートナーとの間に生まれた2人と、錦之介との実子2人を区別する必要があります。こうした家族関係を正しく整理することで、誤解のない人物像が見えてきます。
3. 葬儀で元妻2人が参列したことは重要な事実
1997年の葬儀に有馬稲子と淡路恵子が参列したことは、錦之介の結婚歴を象徴する出来事です。
離婚後もそれぞれが別の人生を歩みながら、最後の別れには足を運んだことが記録されています。特に淡路は離婚後も錦之介を思い続けていたことが、2014年の本人の葬儀に関する報道でも伝えられました。
萬屋錦之介の妻に関するよくある質問(FAQ)
Q1:萬屋錦之介の妻は全部で何人ですか?
A1:法律上の結婚相手は3人です。有馬稲子、淡路恵子、甲にしきの順に結婚しました。
Q2:萬屋錦之介と淡路恵子はいつ離婚しましたか?
A2:1987年1月です。1986年に別居と甲にしきとの関係が報道され、その後正式に離婚しました。
Q3:萬屋錦之介と甲にしきはいつ結婚しましたか?
A3:1990年です。甲にしきは錦之介の3人目の妻となり、1997年の葬儀では喪主を務めました。
Q4:萬屋錦之介には子供が何人いましたか?
A4:淡路恵子との間に実子の息子が2人いました。淡路が以前のパートナーとの間にもうけた息子2人を含めると、家族には4人の息子がいました。
Q5:萬屋錦之介の葬儀には元妻も出席しましたか?
A5:はい。有馬稲子と淡路恵子の2人が参列しました。最後の妻である甲にしきが喪主を務め、1997年3月14日に増上寺で葬儀が営まれました。
Q6:萬屋錦之介は何歳で亡くなりましたか?
A6:1997年3月10日、64歳で亡くなりました。中咽頭がんの手術後、肺炎を併発したことが死因です。
Q7:2026年現在、萬屋錦之介の妻に関する新しい情報はありますか?
A7:錦之介本人は1997年に亡くなっているため、本人の新たな結婚や生活に関する情報はありません。2026年現在も確認できる結婚歴は3回で、有馬稲子、淡路恵子、甲にしきの3人です。
まとめ:萬屋錦之介の妻3人と結婚歴を正しく理解する
萬屋錦之介の妻は、有馬稲子、淡路恵子、甲にしきの3人です。
1961年に有馬稲子と結婚し、1965年に離婚。1966年には淡路恵子と再婚しましたが、1987年に離婚しました。そして1990年に甲にしきと再々婚し、1997年の死去まで夫婦関係が続きました。
淡路との間には2人の実子がおり、前のパートナーとの間に生まれた2人の息子も家族として生活していました。事業の倒産、病気、離婚、子供との別れなど、家族の歴史には多くの出来事がありました。
1997年の葬儀に3人の妻がそろい、元妻の有馬稲子と淡路恵子も参列したことは、錦之介の人生を振り返るうえで印象的な出来事です。
2026年現在も、萬屋錦之介の名前が語り継がれる理由は、華やかな時代劇スターとしての功績だけではありません。3人の妻との結婚歴や家族との歩みもまた、昭和の芸能史を知るうえで重要な記録となっています。 (出典: 萬屋 錦之介 妻(Yahoo!ニュース))