【結論】かごめかごめの本当の意味は「人当て遊び」に隠されている
「かごめかごめ」の本当の意味を考えるうえで、最初に押さえておきたいのは、この歌が単独で伝わった詩ではなく、子どもたちの遊びと一体になったわらべうただという点です。

一般的な遊び方では、一人の子どもが中央で目を閉じてしゃがみ、その周囲をほかの子どもたちが手をつないで囲みます。輪になった子どもたちは歌いながら回り、歌が終わると中央の子どもが背後にいる相手を当てます。
正解すれば、当てられた子どもと鬼が交代するのが基本的なルールです。地域によって目隠しの仕方や動作には違いがあります。
つまり、歌詞には実際の遊びの動きが反映されている可能性があります。輪の中にいる子どもは外側の仲間に囲まれ、歌の終わりには後ろに誰がいるのかを当てなければなりません。
この構造を踏まえると、「籠の中の鳥」は閉じ込められた存在、「後ろの正面だあれ」は背後にいる人物を当てる問いとして理解できます。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースでも、江戸時代後期にはすでに人当て遊びとして存在していたことが紹介されています。一方、歌詞の原型や成立年代、作者を一つに特定することはできていません。
ここで大切なのは、遊びとしての意味と、歌詞に込められた象徴的な意味を分けて考えることです。遊び方には具体的な伝承がある一方、歌詞のすべてに一つの物語が隠されていると証明されたわけではありません。
【江戸時代の起源】竹堂随筆に残された歌詞と現在までの変遷
かごめかごめの歴史をたどると、重要な資料として浮かび上がるのが、江戸時代の童謡を記録した『竹堂随筆』です。
この資料は、浅草の覚吽院に住した修験僧・行智による童謡集として知られています。文政3年(1820年)頃の編纂とされ、江戸時代中期から後期にかけて歌われていた子どもの歌を伝える貴重な記録です。
国立国会図書館には『竹堂随筆』の書写資料が所蔵されており、行智の名前とともに資料の存在を確認できます。また、国学院大学の教育関連資料でも、行智編『童謡集』が文政3年頃の伝承童謡集として紹介されています。
江戸時代の歌詞は現在と違っていた
『竹堂随筆』に収録されたとされる歌詞は、現在広く知られているものとは後半部分が異なっています。
かァごめかごめ。
かーごのなかの鳥は。
いついつでやる。
夜あけのばんに。
つるつるつっぺぇつた。
なべのなべのそこぬけ。
そこぬいてーたーァもれ。
注目したいのは、現在の「鶴と亀が滑った」「後ろの正面だあれ」が、この古い歌詞には登場しないことです。
代わりに「つるつるつっぺぇつた」「なべのなべのそこぬけ」という言葉が続いています。最後には「そこぬいてたもれ」という、鍋の底を抜いてほしいという意味に読める表現まであります。
この違いは、かごめかごめの歌詞が最初から現在の形で固定されていたわけではなく、時代とともに言葉や遊び方を変えながら伝わってきたことを示しています。
かごめかごめの歴史を年代別に整理
この年表で特に重要なのは、江戸時代の記録と、近代以降の解釈を混同しないことです。
例えば、柳田國男が1942年に刊行した『こども風土記』には、現在の歌詞に近い表現が登場します。しかし、そこでも「鶴と亀とつーべった」という形と、「つるつるつーべった」という形の両方が紹介されています。
さらに「うしろの正面だあれ」は、歌の後に付け加える場合と、まったく歌わない場合があったと記されています。現在の歌詞が昔から完全に統一されていたわけではないことが分かります。
【歌詞を一節ずつ解説】籠の中の鳥・夜明けの晩・鶴と亀の意味
かごめかごめの意味を考える際には、各フレーズを独立した暗号として読むだけでなく、歌われる場面や動作と結びつけることが大切です。
1.「かごめかごめ」の意味は囲め?屈め?
「かごめ」の語源には、いくつかの説があります。
代表的なのは、次の3つです。
- 囲め説:周囲の子どもたちが中央の子を取り囲む動作から生まれた言葉とする説。
- 屈め説:身をかがめる、しゃがむという動作を指す言葉が変化したとする説。
- 籠目説:竹籠の編み目や、その形状を表す言葉とする説。
国語辞典では「かごむ」という「囲む」に関係する語の命令形からきた可能性も紹介されています。一方、柳田國男は「かごめ」を「かがめ」、つまり「しゃがめ」という意味で解釈しました。
実際の遊びでは中央の子どもがしゃがむため、柳田の解釈は遊びの動作と自然につながります。
ただし、語源を一つに決めるだけの決定的な証拠はありません。囲むという動作と、屈むという動作の両方が遊びの中に存在している点も興味深いところです。
2.「籠の中の鳥」の意味は閉じ込められた子ども?
「籠の中の鳥」は、かごめかごめの中でも特に多くの解釈を生んだ言葉です。
遊びの構造から考えると、輪の中央にいる子どもが鳥にたとえられ、周囲の子どもたちが籠を形作っていると理解できます。
この解釈なら、歌詞と遊び方が無理なく結びつきます。中央の子どもは輪の外へ出ることができず、歌が終わるまで仲間に囲まれています。
一方、柳田國男は「かごめ」を「かがめ」と解釈したうえで、「かもめ」という鳥の連想から「籠の中の鳥」という表現につながったと考察しました。
つまり、最初から鳥や籠に関する暗号があったというより、言葉の響きや子どもたちの言葉遊びによって、歌詞のイメージが発展した可能性があるのです。
3.「いついつ出やる」の意味はいつ外へ出られるのか
「いついつ出やる」は、籠の中の鳥がいつ外へ出るのかを尋ねる表現です。
遊びの場面では、輪の中央にいる子どもがいつ外へ出られるのかという状況に重なります。
この一節を自由への願望と読み取ることもできます。籠の中に閉じ込められた存在が、外の世界へ出られる日を待ち望んでいるという解釈です。
ただし、自由を奪われた特定の人物の心情を歌ったものだと断定できる資料はありません。
4.「夜明けの晩」の意味は時間の矛盾?
「夜明けの晩」は、言葉どおりに考えると不思議な表現です。夜が明ける時間と、夜の時間が同時に存在するように聞こえます。
この矛盾した表現について、柳田國男は、子どもたちの遊びを進めるための、ありえない時刻を示す言葉として捉えました。
実際、柳田の記述では、この言葉が歌われると全員が一斉にしゃがむ動作につながっています。
つまり、夜明けの晩は、何かの事件が起きた時刻や、特定の儀式の時間を示すというより、遊びの動作を切り替えるための言葉遊びとして理解することができます。
もっとも、ほかの意味がまったく存在しないとまではいえません。わらべうたには、音の響きやリズムを優先した意味の取りにくい表現も多く残っています。
5.「鶴と亀が滑った」の意味は不吉な出来事?
鶴と亀は、日本では長寿や縁起のよさを象徴する組み合わせとして知られています。
そのため、縁起のよい二つの生き物が滑るという表現に、不吉な出来事や不幸の暗示を読み込む解釈もあります。
しかし、江戸時代の古い歌詞では、この部分は「つるつるつっぺぇつた」と記録されています。
柳田國男の『こども風土記』にも「つるつるつーべった」と「鶴と亀とつーべった」という異なる形が登場しています。
この変化を考えると、「鶴と亀が滑った」は、もともと別の音だった言葉が、子どもたちの伝承の中で、聞き覚えのある鶴と亀という表現に変わった可能性があります。
ただし、どの時期に、誰が、どのような理由で現在の表現に変えたのかは特定されていません。少なくとも、最初から鶴と亀の転落事故を歌ったものだとする説明には無理があります。
6.「後ろの正面だあれ」の意味は誰が後ろにいるのか
最後の「後ろの正面だあれ」は、かごめかごめの遊び方と最も直接的に結びつく一節です。
中央で目を閉じている子どもは、自分の背後に誰がいるのか分かりません。歌が終わったところで、後ろにいる相手の名前を当てます。
この意味で考えると、「後ろの正面だあれ」は、背後にいる人物を当てるための問いかけです。
「後ろ」と「正面」という反対方向の言葉が並ぶため、初めて聞くと違和感があります。しかし、歌のリズムや遊びの状況を考えれば、必ずしも怪奇現象を表しているわけではありません。
柳田國男も、輪が静止したときに真後ろにいる人物を尋ねる遊びとして説明しています。また、地域や遊び方によっては、この一節を付けない例もあったと記しています。
【柳田國男の解釈】民俗学から読み解く本来の遊び方と歴史
かごめかごめの意味を調べるうえで欠かせない人物が、民俗学者の柳田國男です。
柳田國男(1875~1962年)は、日本各地の伝承や生活文化を調査し、民俗学の発展に大きな影響を与えた人物です。
1942年刊行の『こども風土記』では、かごめかごめを単なる歌詞の集合としてではなく、身体の動きと一体になった遊びとして考察しています。
柳田國男が注目したのは歌詞よりも身体の動き
柳田が重視したのは、子どもたちが輪になって回り、歌の終わりにしゃがむという一連の動作です。
彼は、歌と遊びの動きは本来切り離せないものだったと考えました。
この「かごめ」は身を屈めよ、すなわちしゃがめしゃがめということであった。
これは『こども風土記』に記された柳田の解釈です。
柳田の考察では、「かごめ」という言葉は遊びの動作を表しており、その後の籠や鳥の表現も、言葉の連想から生まれた可能性があります。
また、歌の最後に背後の人物を当てることについても、特別な秘密の儀式というより、人当て遊びとして説明しています。
地蔵遊びとの関係も見逃せない
柳田國男の研究には、かごめかごめと比較できる「地蔵遊び」という遊びも登場します。
これは一人の子どもを中央に座らせ、周囲の子どもたちが輪になって歌いながら回る遊びです。中央の子どもを地蔵に見立て、周囲の子どもたちが質問をするという形もありました。
柳田は、こうした遊びの背景に、神の言葉を伝える口寄せなどの民俗的な習俗との類似を見ています。
また、国立国会図書館のレファレンス協同データベースでも、かごめかごめの遊びの源として、一人を囲み、地蔵が乗り移るのを待って質問する神寄せの儀式に似た形式が紹介されています。
ただし、これは類似する遊びや民俗習俗との比較から生まれた考察です。かごめかごめが特定の宗教儀式から直接生まれたと証明されたわけではありません。
柳田の研究から読み取れる重要な点は、わらべうたの意味を理解するには、言葉だけでなく、歌われる場面や身体の動作、地域ごとの伝承を合わせて見る必要があるということです。
【怖い説と都市伝説】妊婦・遊女・処刑場・徳川埋蔵金の真相
かごめかごめには、昔から怖い意味が隠されているという噂が存在します。
歌詞に登場する籠、鳥、夜明け、滑るという言葉を、事件や死、自由を奪われた人間の境遇に結びつける解釈です。
しかし、これらの説には、江戸時代の記録や作者による説明などの直接的な裏付けがありません。
妊婦が転落して流産したという説
有名な怖い説の一つが、妊婦の悲劇を歌ったものだという解釈です。
この説では、「かごめ」を「籠女」と読み替え、お腹の中に胎児を宿した女性を表すと考えます。
「籠の中の鳥」は胎児、「いついつ出やる」は出産を待つ状態、「鶴と亀が滑った」は妊婦が転落した出来事を意味すると説明されます。
そして「後ろの正面だあれ」は、女性を突き落とした犯人を問い詰める言葉だと解釈されます。
確かに、歌詞の言葉をつなぎ合わせれば、一つの悲劇的な物語を作ることはできます。しかし、こうした事件を歌ったことを示す同時代の史料は確認されていません。
そのため、歴史的な事実ではなく、後から生まれた都市伝説として捉える必要があります。
遊郭に閉じ込められた遊女の歌という説
もう一つの解釈が、遊女の自由を奪われた生活を歌ったものだという説です。
この場合、「籠の中の鳥」は遊郭から出られない女性を表し、「いついつ出やる」は年季が明けて自由になれる日を待つ気持ちだと説明されます。
遊女が籠の中の鳥にたとえられること自体は、昔からさまざまな文学表現に見られる発想です。そのため、歌詞と遊郭のイメージが結びつきやすかったと考えられます。
2026年5月29日付の全日本民医連の文化記事では、古い歌詞に登場する「鍋の底抜け」にも注目し、身売りされた女性の境遇を反映した歌だった可能性を提示しています。
この解釈では、「籠の中の鳥」を遊郭に閉じ込められた女性と捉え、鍋の底が抜けることを、そこから逃げ出す願望に重ねています。
ただし、遊女がこの歌を作ったことや、遊郭の投節が直接の起源だったことを証明する史料が示されているわけではありません。2026年に紹介された新しい読み方の一つとして理解するのが適切です。
処刑場や牢屋に関係する歌という説
「籠の中の鳥」を牢屋に入れられた囚人と考える解釈もあります。
この説では、籠は牢獄、鳥は囚人を象徴します。「いついつ出やる」は釈放される日を待つ心情であり、「鶴と亀が滑った」は処刑や死を暗示するとされます。
さらに、「後ろの正面だあれ」は、背後にいる処刑人を意識した言葉、あるいは首を失った人物の視点だという説明もあります。
しかし、これも歌詞の各部分に後から物語を当てはめた解釈です。実際の処刑場で歌われたことを示す記録は確認されていません。
徳川埋蔵金の暗号という説
オカルト分野では、かごめかごめを徳川埋蔵金の隠し場所を示す暗号とする説もあります。
この解釈では、「かごめ」を籠目模様と捉え、六角形や星形などの図形を地図や方角と結びつけます。歌詞の中に隠された場所や人物の手がかりがあるという考え方です。
しかし、籠目の図形と徳川家の埋蔵金を直接結びつける公的な記録や、歌詞が暗号として作られたことを示す一次資料は確認されていません。
図形や方角を自由に組み合わせれば、さまざまな場所を導き出せるため、解釈の自由度が高すぎるという問題もあります。
怖い説と研究に基づく解釈を比較
| 解釈 | 歌詞の読み方 | 根拠の位置づけ |
|---|---|---|
| 人当て遊び説 | 輪の中の子どもが背後の人物を当てる | 遊び方や柳田の記録に裏付けがある |
| 妊婦説 | 籠女と胎児、転落や流産を表す | 歴史的な裏付けのない都市伝説 |
| 遊女説 | 籠の中の鳥を遊郭の女性にたとえる | 現代の解釈・仮説 |
| 囚人・処刑説 | 牢屋や処刑人を表す | 直接の史料による裏付けなし |
| 埋蔵金説 | 籠目や歌詞を暗号として読む | 暗号であることを示す史料なし |
| 民俗学的解釈 | 歌詞と輪の動作、言葉遊びを関連づける | 柳田國男などの研究記録がある |
この比較から分かるのは、怖い説には物語としての面白さがある一方、民俗学的な解釈には実際の遊び方や古い記録という根拠があることです。
怖い説を楽しむこと自体に問題はありません。しかし、都市伝説と江戸時代の史料を同じ確度の情報として扱うと、歌の歴史を誤解してしまいます。
【よくある質問】かごめかごめの歌詞の意味に関するFAQ
Q1:かごめかごめの歌詞の本当の意味は何ですか?
A1:作者や成立時の意図が分かっていないため、唯一の正解はありません。遊び方や柳田國男の考察からは、輪の中央にいる子どもを囲み、歌の終わりに背後の人物を当てる人当て遊びの歌として理解するのが自然です。
Q2:かごめかごめは江戸時代から存在していたのですか?
A2:はい。江戸時代にはすでに歌われていたことが、行智の『竹堂随筆』などの資料から分かります。文政3年(1820年)頃の記録では、現在とは異なる「つるつるつっぺぇつた」「なべのなべのそこぬけ」という歌詞が確認できます。
Q3:「籠の中の鳥」は妊婦や胎児を意味するのですか?
A3:妊婦や胎児を象徴するという都市伝説はありますが、歴史的な根拠は確認されていません。遊びの構造からは、輪の中央にいる子どもを鳥に見立てたという解釈が考えられます。
Q4:「夜明けの晩」は何を意味していますか?
A4:柳田國男は、ありえない時刻を表す言葉遊びとして解釈しています。歌の途中で子どもたちが一斉にしゃがむ動作と関係しているという見方です。特定の事件が起きた時間を示す証拠はありません。
Q5:「鶴と亀が滑った」は昔から同じ歌詞だったのですか?
A5:いいえ。江戸時代の古い記録には「つるつるつっぺぇつた」という異なる表現が残っています。後の伝承で鶴と亀という言葉に変化した可能性がありますが、具体的な変化の過程は特定されていません。
Q6:かごめかごめは歌ってはいけない怖い歌なのですか?
A6:歌うことで呪われる、霊が現れるといった話は都市伝説です。江戸時代の資料では子どもの遊び歌として記録されています。歌ってはいけないという歴史的・科学的な根拠はありません。
Q7:柳田國男はかごめかごめをどのように解釈しましたか?
A7:柳田は「かごめ」を「かがめ」、つまりしゃがむ動作と解釈しました。また、歌と身体の動作が一体となった遊びであり、最後に背後の子どもの名前を当てる人当て遊びだったと考察しています。
まとめ:かごめかごめの歌詞は江戸時代の遊びと伝承が生んだ謎
かごめかごめの歌詞には、現在まで明確な答えが出ていない部分が数多く残っています。しかし、江戸時代の記録や柳田國男の研究をたどることで、その背景にある子どもたちの遊びや、言葉の変化が見えてきます。
特に重要なのは、現在の歌詞と江戸時代の歌詞が異なっていることです。「鶴と亀が滑った」は古い記録では「つるつるつっぺぇつた」となっており、「後ろの正面だあれ」も最初から必ず歌われていたわけではありません。
また、「かごめ」は「囲め」なのか「屈め」なのか、「籠の中の鳥」は何を象徴しているのかといった問題にも、複数の解釈が存在します。
怖い都市伝説が広まった背景には、意味の分かりにくい歌詞と、自由に想像できる余地があったことが考えられます。しかし、妊婦の悲劇や処刑場、徳川埋蔵金といった説を裏付ける歴史資料は確認されていません。
【プロの結論】 かごめかごめを理解する最も確かな手がかりは、歌詞だけを暗号のように読むことではなく、江戸時代の記録、遊び方、言葉の変遷を合わせて考えることです。
わらべうたは、作者が決めた一つの文章をそのまま保存する文化ではありません。子どもたちが歌い、遊び、聞き覚え、少しずつ言葉を変えながら次の世代へ伝えていく文化です。
だからこそ、かごめかごめには複数の歌詞や解釈が残っています。怖い都市伝説だけに注目するのではなく、江戸時代から続く日本の子ども文化として見直すと、この歌の本当の面白さが見えてきます。 (出典: かごめかごめ 歌詞 の 意味(Yahoo!ニュース))