萬屋錦之介の妻は誰?有馬稲子・淡路恵子・甲にしきとの3度の結婚と離婚を徹底解説
時代劇の大スターとして知られる萬屋錦之介には、生涯で3人の妻がいました。最初の妻は女優の有馬稲子、2人目は女優の淡路恵子、そして最後の妻は宝塚歌劇団出身の甲にしきです。3度の結婚と離婚には、それぞれ異なる背景がありました。
萬屋錦之介は1997年3月10日に64歳で亡くなっています。晩年を共にした妻は甲にしきで、最期を迎えた際には妻として親族とともに看病を続け、葬儀では喪主を務めました。一方、淡路恵子との間には2人の実子がおり、前のパートナーとの間に生まれた2人の息子も含め、家族として暮らした時期があります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 歴代妻は3人:有馬稲子、淡路恵子、甲にしきの順に結婚しています。
- 最後の妻は甲にしき:1990年に入籍し、1997年の萬屋錦之介の死去まで夫婦関係にありました。
- 子供は4人の息子:淡路恵子の前のパートナーとの間に生まれた2人と、錦之介との実子2人です。
【結論】萬屋錦之介の妻は3人!最後の妻は甲にしき
萬屋錦之介の結婚歴を整理すると、次の3人になります。
- 1人目:有馬稲子(1961年結婚・1965年離婚)
- 2人目:淡路恵子(1966年結婚・1987年正式離婚)
- 3人目:甲にしき(1990年入籍・1997年死別)
注目したいのは、2人目の妻である淡路恵子との結婚生活が約21年間に及んだことです。3人の妻の中でも、淡路との間には子供が生まれ、家庭を築いていました。
一方、最後の妻となった甲にしきとは、淡路との婚姻関係が続いていた時期から関係が報じられ、1986年には同居生活が始まったと日刊ゲンダイが伝えています。その後、1990年に正式に入籍しました。
つまり、甲にしきは単に交際相手だった人物ではなく、萬屋錦之介が亡くなるまで法律上の妻だった人物です。
なお、2026年現在、萬屋本人はすでに亡くなっているため、「現在の妻」という意味で配偶者がいるわけではありません。結婚歴における最後の妻が甲にしきです。

【1人目の妻】有馬稲子との結婚と離婚はなぜ起きた?
最初の妻は、日本映画界と舞台で長く活躍した女優の有馬稲子です。
2人が出会ったのは1959年。映画『浪速の恋の物語』での共演がきっかけでした。当時の萬屋錦之介は、まだ中村錦之助の芸名で活動していた時期です。
1961年に結婚、わずか4年で離婚
2人は1961年に結婚しました。当時、萬屋は歌舞伎の名門に生まれた人気俳優であり、有馬も映画界で活躍する女優でした。
しかし、結婚生活は長く続きませんでした。1965年に離婚しています。
BSテレ東の番組「日経スペシャル 私の履歴書」で紹介された有馬本人の歩みでは、結婚後、有馬が舞台女優として活躍の場を広げ、多忙になったことなどから夫婦のすれ違いが生じたと説明されています。
有馬は1966年に舞台『風と共に去りぬ』でスカーレット・オハラ役を務めるなど、舞台女優としての地位を確立していきました。
結婚生活を続けることと、女優として自分の道を切り開くこと。その両立が難しくなったことが、離婚に至った背景の一つです。
有馬稲子との間に子供はいた?
有馬稲子との間に子供が生まれたという公表記録は確認できません。
2人の結婚は1965年に終わり、その翌年、萬屋は淡路恵子と再婚しました。
なお、有馬は萬屋の死去後、1997年の葬儀にも参列しています。日刊ゲンダイの葬儀に関する報道によれば、手術後で松葉杖を使用していたにもかかわらず、最後の別れに訪れたとされています。
最初の結婚は短期間で終わりましたが、2人の関係が萬屋の人生から完全に消えたわけではありませんでした。
【2人目の妻】淡路恵子との再婚・子供・離婚理由を詳しく解説
萬屋錦之介の結婚歴の中で、最も長い夫婦生活を送った相手が女優の淡路恵子です。
2人は1966年11月20日に結婚しました。当時の萬屋は中村錦之助の芸名で活動しており、1972年に萬屋錦之介へ改名しています。
共演をきっかけに1966年に再婚
2人の関係が深まるきっかけとなったのは映画での共演でした。日刊スポーツの淡路恵子の経歴記事では、1966年の映画『丹下左膳』での共演が紹介されています。
淡路は萬屋と結婚する前から女優として高い人気を得ていました。しかし、結婚前の1966年5月に芸能界を引退し、家庭を支える道を選びます。
淡路には、フィリピン人歌手ビンボー・ダナオとの間に生まれた2人の息子がいました。萬屋との結婚は、2人の子供を連れての再婚でもありました。
萬屋はその後、淡路との間にさらに2人の息子をもうけています。
萬屋錦之介の子供は4人!実子と義理の息子の関係
萬屋錦之介の家族構成を理解するうえで重要なのが、4人の息子の血縁関係です。
4人全員が萬屋の実子というわけではありません。淡路の前のパートナーとの間に生まれた2人と、萬屋と淡路の間に生まれた2人で構成されています。
- 長男・島英津夫:淡路恵子とビンボー・ダナオの間に生まれた息子。俳優として活動。
- 次男:淡路とビンボー・ダナオとの間に生まれた息子。詳しい私生活は広く公表されていません。
- 三男:萬屋錦之介と淡路恵子の実子。俳優の小川晃広。1990年にバイク事故で亡くなりました。
- 四男:萬屋錦之介と淡路恵子の実子。俳優として活動した人物で、2010年に亡くなっています。
日刊スポーツは2012年、島英津夫が萬屋錦之助一座「ざ☆よろきん」を旗揚げしたことを報道しました。その際、島本人が萬屋の実子ではなく義理の息子であること、そして萬屋の血を引く2人の弟が亡くなったことについて触れています。
この報道からも、萬屋の家族を語る際には、血縁上の実子と淡路の連れ子を区別する必要があることが分かります。
淡路恵子との離婚理由は甲にしきとの関係だった
淡路との結婚生活は約21年間続きました。しかし、1980年代半ばに夫婦関係が大きく変化します。
背景には、萬屋が設立した中村プロダクションの経営問題と、本人の病気がありました。
1982年、中村プロダクションが倒産。日刊スポーツの報道では、負債総額は12億7,000万円とされています。同じ年、萬屋は重症筋無力症で入院しました。
淡路は夫の療養を支えながら、借金返済にも奔走しました。1986年には東京・六本木の高級クラブで働いていたことも報じられています。
ところが、同じ1986年9月には夫婦の別居が明らかになり、萬屋と女優・甲にしきとの関係も報じられました。
翌1987年1月、2人は正式に離婚しています。報道では甲にしきとの関係が離婚の大きな原因として取り上げられました。
淡路にとっては、病気の夫を支え、家族を守ってきた長年の結婚生活の終わりでした。
なお、淡路は2014年1月11日に80歳で亡くなっています。萬屋との離婚後も、彼を思い続けていたことが、亡くなった際の長男・島英津夫の話として報道されています。
【3人目の妻】甲にしきが萬屋錦之介の晩年を支えた最後の妻
萬屋錦之介の3人目の妻となったのは、元宝塚歌劇団花組トップスターの甲にしきです。
甲にしきは、小川甲子という名前でも知られています。宝塚歌劇団で男役スターとして活躍した人物で、日本物の芝居やダンスにも定評がありました。
1986年から同居、1990年に正式入籍
甲にしきと萬屋の関係が報じられるようになったのは1986年です。
日刊ゲンダイの芸能報道によれば、甲は同年から萬屋との同居生活を始めたとされています。当時、萬屋はまだ淡路恵子との婚姻関係にあり、夫婦の別居や離婚問題と重なって大きな話題になりました。
その後、淡路との離婚が成立し、1990年4月に甲にしきと再婚しました。
つまり、交際や同居が報じられた時期と、法律上の結婚が成立した時期は異なります。この2つを混同すると、結婚歴の年表に誤りが生じます。
1997年の死去まで妻として寄り添う
萬屋錦之介は1996年、中咽頭がんの手術を受けました。翌1997年にはNHK大河ドラマ『毛利元就』への出演を予定していましたが、病気のため降板しています。
手術後は声を出すことが難しくなり、筆談で日常の意思疎通をする生活になりました。それでも、もう一度舞台に立つことを目指してリハビリに取り組んでいたと日刊ゲンダイは伝えています。
しかし、1997年2月に一時退院した後、肺炎を発症。3月10日午後2時41分、千葉県柏市の国立がんセンター東病院で亡くなりました。享年64歳でした。
この時、妻として親族とともに最期を見守っていたのが甲にしきです。
葬儀は3月14日に東京・芝の増上寺で営まれ、甲が喪主を務めました。有馬稲子と淡路恵子も参列し、3人の妻が同じ葬儀の場に集まったことは、当時の芸能報道でも大きく取り上げられました。
日刊ゲンダイによると、淡路は葬儀で甲に対してねぎらいの言葉を述べたとされています。長い年月を経て、かつての夫を見送る場に元妻と最後の妻が顔をそろえたのです。
甲にしきとの間に子供はいた?
甲にしきとの間に子供が生まれたという公表記録は確認できません。
萬屋の4人の息子は、淡路恵子とその前のパートナーとの間に生まれた子供たちです。甲との結婚後に新たな子供が生まれたという情報も公表されていません。
また、宝塚スカイ・ステージの甲にしきの紹介番組では、元花組トップスターとしての経歴や、東京宝塚劇場の支配人を務めていた時期の活動が紹介されています。2026年現在の具体的な活動状況や生活については、最新の公式情報だけでは断定できません。
【結婚歴年表】萬屋錦之介の歴代妻と家族構成を一覧で比較
ここまで紹介した3度の結婚と離婚を、年代順に整理します。特に1986年と1987年の違いは、情報を調べる際に注意したいポイントです。
| 年代 | 出来事 | 関係者・詳細 |
|---|---|---|
| 1959年 | 映画で出会う | 有馬稲子と『浪速の恋の物語』で共演 |
| 1961年 | 最初の結婚 | 有馬稲子と結婚 |
| 1965年 | 最初の離婚 | 有馬稲子と離婚 |
| 1966年11月20日 | 2度目の結婚 | 淡路恵子と再婚 |
| 1967年以降 | 子供が誕生 | 淡路との間に三男・四男が誕生 |
| 1972年 | 芸名を変更 | 中村錦之助から萬屋錦之介へ |
| 1982年 | 事務所倒産・病気 | 中村プロダクション倒産、重症筋無力症で入院 |
| 1986年9月 | 淡路と別居 | 甲にしきとの関係も報道される |
| 1987年1月 | 2度目の離婚 | 淡路恵子と正式離婚 |
| 1990年4月 | 3度目の結婚 | 甲にしきと入籍 |
| 1997年3月10日 | 死去 | 64歳。甲にしきが最後の妻 |
この年表から分かるように、淡路との別居が明らかになったのは1986年ですが、正式な離婚は1987年1月です。資料によっては1986年を離婚年として記載しているものもありますが、別居と正式離婚を分けて理解すると、経緯が明確になります。
萬屋錦之介の家族構成で押さえたいポイント
萬屋錦之介は歌舞伎俳優・三代目中村時蔵の四男として生まれました。芸能一家の出身で、幼少期から舞台に立ち、後に映画・テレビ時代劇のスターへと成長しました。
自身の結婚生活では、淡路との間に2人の実子をもうけています。さらに、淡路の前のパートナーとの間に生まれた2人の息子とも家族として暮らしました。
したがって、萬屋の家族構成を説明するときは、次のように整理するのが正確です。
- 父:三代目中村時蔵
- 最初の妻:有馬稲子
- 2人目の妻:淡路恵子
- 3人目の妻:甲にしき
- 息子:淡路の前のパートナーとの子供2人、萬屋との実子2人
4人の息子がすべて萬屋の実子だったという理解は正しくありません。血縁関係を分けて把握することが、家族構成を正確に理解するポイントです。

【誤解を検証】萬屋錦之介の離婚理由と妻にまつわる疑問
萬屋錦之介の結婚歴は3度という数字だけが一人歩きしがちですが、それぞれの結婚には異なる事情があります。
誤解1:淡路恵子とは1986年に離婚した?
正確には、1986年9月に別居が明らかになり、1987年1月に正式離婚しています。
映画・人物情報を扱うKINENOTEなどでは1986年の離婚として整理されている場合もありますが、日刊スポーツの詳細な経過報道では1987年1月が正式離婚の時期として記録されています。
誤解2:萬屋錦之介の息子は全員実子?
違います。4人の息子のうち、萬屋と淡路の間に生まれた実子は2人です。残る2人は淡路とビンボー・ダナオとの間に生まれた子供です。
長男の島英津夫は俳優として活動し、2012年には萬屋錦之助一座を旗揚げしました。義理の息子として萬屋の芸名や俳優としての功績を次世代に伝えようとした活動も知られています。
誤解3:最後の妻は淡路恵子だった?
これも誤りです。淡路は2人目の妻で、1987年に離婚しています。
1990年に甲にしきと入籍しているため、法律上の最後の妻は甲です。1997年の葬儀で甲が喪主を務めたことも、この関係を裏付ける出来事です。
誤解4:萬屋錦之介は病気で亡くなった?
萬屋は中咽頭がんの手術を受けていましたが、1997年3月10日の死因として報道されたのは肺炎です。がんの闘病と肺炎による最期を区別して理解する必要があります。
病気を抱えながらも舞台への復帰を目指していたことは、晩年の萬屋を知るうえで重要な背景です。
【萬屋錦之介の妻】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:萬屋錦之介の妻は誰ですか?
A1:生涯で3人の妻がいました。最初が有馬稲子、2人目が淡路恵子、3人目が甲にしきです。最後の妻は甲にしきです。
Q2:萬屋錦之介と淡路恵子はいつ離婚しましたか?
A2:1986年9月に別居が明らかになり、1987年1月に正式離婚しました。
Q3:萬屋錦之介と有馬稲子の離婚理由は何ですか?
A3:有馬の舞台活動が多忙になるなど、夫婦の生活にすれ違いが生じたことが背景にあります。1961年に結婚し、1965年に離婚しました。
Q4:萬屋錦之介の最後の妻・甲にしきとはいつ結婚しましたか?
A4:1990年4月に入籍しました。萬屋が1997年に亡くなるまで妻であり、葬儀では喪主を務めています。
Q5:萬屋錦之介の子供は何人ですか?
A5:家族として暮らした息子は4人です。淡路恵子と前のパートナーとの間に生まれた2人と、萬屋と淡路の間に生まれた実子2人です。
Q6:萬屋錦之介は何歳で亡くなりましたか?
A6:1997年3月10日に64歳で亡くなりました。晩年は中咽頭がんの手術を受け、肺炎を発症した後に亡くなっています。
Q7:2026年現在、萬屋錦之介の妻は誰になりますか?
A7:萬屋本人は1997年に亡くなっているため、現在の妻という意味では該当する人物はいません。結婚歴における最後の妻は甲にしきです。
まとめ:萬屋錦之介の3度の結婚を正しく理解するために
萬屋錦之介の妻は、有馬稲子、淡路恵子、甲にしきの3人です。
最初の有馬稲子とは1961年に結婚し、1965年に離婚。2人目の淡路恵子とは1966年に再婚し、約21年間の夫婦生活を送りましたが、1987年に正式離婚しました。そして1990年に甲にしきと入籍し、1997年の死去まで夫婦として過ごしました。
また、子供については4人の息子がいたものの、萬屋と血縁関係にある実子は淡路との間に生まれた2人です。淡路の前のパートナーとの子供2人も含めた家族を形成していました。
3人の妻をめぐる結婚歴は、単なる芸能人の恋愛遍歴ではありません。映画界と舞台で活躍した有馬との最初の結婚、家庭を築き夫の病気や経済的困難を支えた淡路との再婚、そして晩年を共にした甲にしきとの最後の結婚という、それぞれ異なる時代背景を持っています。
2026年現在も、萬屋錦之介の結婚歴を調べる際には、1986年の別居と1987年の正式離婚、そして1990年の再々婚という時系列を押さえることが大切です。3人の妻と家族の関係を正しく整理することで、日本を代表する時代劇スターの人生をより立体的に理解できます。
萬屋錦之介が残した代表作『子連れ狼』『宮本武蔵』『笛吹童子』などとともに、その波乱に富んだ人生もまた、昭和の映画・演劇史を語るうえで忘れられない記録となっています。
主な参照資料: BSテレ東「私の履歴書」有馬稲子編、日刊スポーツの淡路恵子に関する経歴・訃報記事、日刊ゲンダイの萬屋錦之介の葬儀に関する報道、KINENOTEの人物略歴、平凡社『日本大百科全書』、宝塚スカイ・ステージの甲にしき紹介資料。 (出典: 萬屋 錦之介 妻(Yahoo!ニュース))