【母親との感動エピソード】パンダの絵を褒めた母と、家族の温かい思い出
坂口健太郎さんの幼少期を語るうえで、母親とのパンダの絵にまつわる話も欠かせません。
忘れ物や自由奔放な行動が目立つ一方、家族との思い出からは、創作や表現を受け入れてもらえる環境があったこともうかがえます。
3〜4歳のころに描いたパンダの絵
2014年の『+act.』のインタビューで、坂口さんは幼い頃に自宅の床へパンダの絵を落書きしたことを明かしています。
両親が留守の間に描いたため、帰宅後に怒られると思っていたそうです。
ところが、母親の反応は予想とは違いました。
母親は絵を見て褒め、家族みんなでパンダの絵と一緒に写真まで撮ったといいます。
さらに、2025年10月1日公開の『VOGUE JAPAN』のインタビューでも、坂口さんは人生最初の記憶として、3〜4歳ごろにクレヨンでパンダの絵を描いた話を紹介しています。
こちらでは、帰宅した両親が絵を褒めてくれたと振り返っています。
2つのインタビューで共通しているのは、幼い坂口さんが描いた絵を、家族が否定せずに受け止めてくれたことです。
母親は読書好きで、かつて劇団にも所属
坂口さんの母親は、昔、小さな劇団に所属していた経験があり、読書も好きだったと本人が語っています。
ただし、母親が息子に俳優になるよう勧めていたわけではありません。
むしろ、本の登場人物を坂口さんに重ねて紹介することが多かったそうです。
本人は、そうした母親の言葉によって、本を読む際に自然と自分を登場人物に投影するようになったと振り返っています。
この話は、保育園の演芸会で鬼やオオカミといった役を選んでいたエピソードともつながります。
幼い頃から物語の登場人物に興味を持ち、自分なりの視点で想像する機会があったのでしょう。
101匹わんちゃんのぬいぐるみを巡る不思議な体験
2023年4月17日公開の「めざましmedia」のインタビューでは、坂口さんが別の幼少期の思い出も披露しています。
それは、101匹わんちゃんのぬいぐるみに関する話です。
幼い頃、坂口さんは外出するときに、ぬいぐるみを2つ持って出掛けていたそうです。
ある日、家族で買い物に行った際、そのぬいぐるみを出先に忘れてしまいました。
大切にしていたため、本人はとても心配したそうですが、帰宅すると、なぜかぬいぐるみが家に戻っていたと話しています。
坂口さんは「彼らが、先に」家に戻っていたという不思議な表現で説明し、共演者の齋藤飛鳥さんも思わず笑顔になっていました。
子ども時代の坂口さんが、ぬいぐるみを大切にしていたことが伝わるエピソードです。
【幼少期から俳優へ】坂口健太郎の個性は現在の表現力につながっている?
坂口健太郎さんの子ども時代を振り返ると、単に忘れ物が多かった、落ち着きがなかったという話だけではありません。
人とは違う役を選ぶこと、物語の登場人物に自分を重ねること、絵を描くことなど、幼い頃から自分なりの表現に親しんでいたことが分かります。
保育園時代からピアノを習っていた
2025年の『VOGUE JAPAN』のインタビューでは、保育園時代に1年間だけピアノを習っていたことも明かしています。
本人は、俳優の仕事をしているとピアノを弾く役を定期的にもらうことがあり、思いがけず経験が生きていると話していました。
長く続けた習い事ではなかったものの、幼い頃に触れた経験が、後年の仕事と結び付くこともあるようです。
2014年の俳優デビューと幼少期の思い出
坂口さんは2010年に『MEN'S NON-NO』のモデルオーディションに合格し、モデルとして活動を開始しました。
その後、2014年公開の映画『シャンティデイズ 365日、幸せな呼吸』で俳優デビューを果たしています。
この映画の公開時期に掲載された『+act.』のインタビューでは、幼少期の演芸会や母親との思い出について詳しく語っていました。
本人は、高校生の頃から演技に興味を持ち始め、モデルとして活動するうちに俳優への思いが固まっていったと説明しています。
つまり、子ども時代から演技の道を明確に目指していたというより、読書や役への興味など、身近な経験が後の選択につながっていったと考えられます。
2025年のインタビューで語った子ども時代の自分への言葉
特に印象的なのが、2025年の『VOGUE JAPAN』で、現在の自分から子ども時代の自分に声を掛けるなら何と言うかと質問されたときの回答です。
坂口さんは、次のように答えています。
そのままでいいよ。
小学校高学年から大人になるまでに、たくさんの失敗や反省があったものの、それらがあって現在の自分があると語っています。
また、幼い頃から変わらない個性として、楽観的でポジティブなところを挙げています。
一方で、子どもの頃と比べて、周囲の空気や人間関係、相手の表情を読むことを学んだとも話しています。
この発言は、幼少期の自由奔放な行動を単なる失敗として捉えていないことを示すものです。
2026年現在も俳優として活躍
所属事務所の公式プロフィールによると、坂口さんは2026年10月現在も俳優として活動を続けています。
1991年7月11日生まれで、2026年10月30日時点では35歳です。
2026年10月には、フジテレビの連続ドラマ『kiDnap GAME』で主演の新出敏郎役を務めています。
また、2025年公開の映画『盤上の向日葵』では上条桂介役を演じました。
子ども時代のエピソードと現在の演技力を直接結び付けることはできませんが、本人が語る幼少期の記憶には、想像力や独自の感性を感じさせる話が数多くあります。
【坂口健太郎の幼少期】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:坂口健太郎は幼少期、どんな子どもでしたか?
坂口さん自身は、昔は悪目立ちしたいタイプだったと振り返っています。保育園の徒競走で1位になっても走り続けたり、演芸会では鬼やオオカミを演じたがったりする、自由奔放な子どもだったそうです。
Q2:坂口健太郎の出身小学校はどこですか?
本人は私立小学校に通い、電車で通学していたと明かしています。ただし、具体的な小学校名は本人の公表情報として確認できません。明星小学校という説もありますが、確定情報ではありません。
Q3:坂口健太郎は小学生時代にボーイスカウトをしていましたか?
はい。本人が『+act.』のインタビューで、休日にボーイスカウトをしていたと語っています。
Q4:坂口健太郎は姉と仲が良かったのですか?
本人の話では、小学生時代にお弁当を忘れると姉のクラスへ行き、お弁当を分けてもらっていました。姉のクラスメートにも忘れ物の多さを知られていたそうです。
Q5:坂口健太郎の母親が褒めたパンダの絵とは?
3〜4歳ごろ、自宅の床にクレヨンでパンダの絵を描いたところ、母親や父親が褒めてくれたという思い出です。家族で絵と一緒に写真を撮ったことも本人が紹介しています。
まとめ:坂口健太郎の幼少期は自由奔放で想像力豊かな子どもだった
坂口健太郎さんの幼少期を本人のインタビューから振り返ると、現在の穏やかな印象とは少し違う、活発で個性的な子ども時代が見えてきます。
特に印象的なのは、次のエピソードです。
- 保育園の演芸会では桃太郎ではなく鬼、三匹の子豚ではオオカミを希望。
- 徒競走で1位になっても止まらず、もう1周走って先生に捕まった。
- 保育園ノートには「健ちゃんは寝て治す」という記述があった。
- 私立小学校に電車で通い、休日はボーイスカウトに参加。
- ランドセルやお弁当を忘れ、姉に助けてもらっていた。
- 母親は床に描いたパンダの絵を褒め、家族で写真を撮った。
なかでも、母親が本の登場人物を坂口さんに重ねて紹介していた話や、幼い頃の絵を家族が喜んでくれた話は、子どもの個性を大切にする家庭の一面を感じさせます。
【プロの結論】
坂口健太郎さんの幼少期を理解するうえで大切なのは、珍しい忘れ物の話だけに注目しないことです。
本人のインタビューを通して見えてくるのは、独自の発想を持ち、周囲と少し違うことを面白がり、家族との日常の中で想像力を育んできた姿です。
また、小学校名のようにネット上で推測が広がっている情報については、本人が明かした私立小学校への通学という事実と、学校名の未確認情報を分けて理解することが大切です。
2025年のインタビューで子ども時代の自分に「そのままでいいよ」と伝えた坂口さん。その言葉には、失敗も個性も含めて、過去の経験を現在の自分につなげている姿勢が表れています。
子ども時代の自由奔放なエピソードを知ると、俳優・坂口健太郎の人間的な魅力も、より立体的に感じられるのではないでしょうか。 (出典: 坂口 健太郎 幼少 期(Yahoo!ニュース))