織田信長の肖像画を比較!長興寺本・神戸本・大徳寺本の違いと真相【2026年最新】
織田信長の肖像画には、どのような違いがあるのでしょうか。教科書や歴史番組で目にする長興寺本、神戸市立博物館本、大徳寺に伝わる狩野永徳筆の作品は、いずれも信長の面影を伝える貴重な文化財ですが、制作年代や作者、衣装、顔立ち、制作の目的は同じではありません。
とりわけ注目したいのが、信長の死から1年後にあたる天正11年(1583年)の肖像画です。長興寺本には一周忌に合わせた寄進の記録が残り、神戸市立博物館本には禅僧・古溪宗陳による賛が記されています。一方、狩野永徳筆の大徳寺本には天正12年(1584年)の制作・表装に関係する記録と、後世の修理調査で発見された興味深い描き直しの痕跡があります。2026年10月現在の展覧会情報も踏まえ、信長の実像に迫ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:長興寺本は狩野元秀(宗秀)筆で、天正11年6月2日の一周忌に合わせた寄進記録が残る。
- 要点2:神戸市立博物館本は古溪宗陳の賛を持つ重要文化財で、作者と賛を書いた人物は区別する必要がある。
- 要点3:大徳寺の狩野永徳筆作品は1584年の三回忌に関係するものもあり、2026年の特別展では異なる信長像が公開されている。
【まず結論】織田信長の肖像画は一枚ではない!代表作の違いとは
織田信長の肖像画を理解するうえで、最初に押さえておきたいのは、現在知られている作品が一つの原画から派生したものではないという点です。
信長は天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変で命を落としました。その後、主君を失った家臣や信長を弔う寺院、さらには新たな政治的秩序を築こうとする豊臣秀吉らによって、複数の肖像や追善供養のための作品が制作されました。
特に重要なのが、次の作品群です。
- 長興寺本:狩野元秀(宗秀)筆。天正11年(1583年)の一周忌に関係する肖像画。
- 神戸市立博物館本:作者不詳。古溪宗陳の賛があり、天正11年の一周忌のための遺像とされる。
- 総見院伝来の狩野永徳筆作品:16世紀の作品。信長の葬儀に掲げられた可能性がある。
- 大徳寺本:狩野永徳筆。天正12年(1584年)の三回忌に関係する作品。
このうち、長興寺本と神戸市立博物館本は1583年の一周忌に関係する作品です。大徳寺本の1584年作は、同じ追善供養でも三回忌という別の機会に結び付いています。
また、総見院に伝わる永徳筆の16世紀の作品と、現在大徳寺が所蔵する1584年の作品も、混同してはいけません。2026年の特別展では、この二つが別作品として紹介されています。
つまり、信長の肖像画を比較するときは、単純に顔の似ている・似ていないだけで判断するのではなく、制作年代、賛、銘文、所蔵の経緯を組み合わせて見る必要があります。

【天正11年の一周忌】長興寺本と神戸市立博物館本に刻まれた証拠
長興寺本:狩野元秀が描いた信長の肖像
長興寺本は、愛知県豊田市の長興寺が所蔵する重要文化財です。正式には「紙本著色織田信長像」と呼ばれ、縦約70センチ、横約31.2センチの掛け軸形式で伝わっています。
作者は狩野元秀。狩野宗秀(1551~1601)とも呼ばれる人物で、桃山時代を代表する絵師・狩野永徳の弟にあたります。
東京文化財研究所の年紀資料集成では、本作品の制作年代を天正11年(1583年)とし、作者を狩野元秀と記録しています。国指定文化財等データベースでも、狩野元秀筆の重要文化財として登録されています。
この作品が特に重要なのは、肖像画の制作目的と寄進の日付が画面上の墨書によって具体的に伝わっていることです。
画面下部には、次のような銘文が記されています。
右信長御影
為御報恩相
当於一周忌之
辰描之三州
高橋長興寺
与語久三郎
正勝寄進之
天正十一年六月二日
現代語にすると、「これは信長公の御影であり、報恩のため一周忌に当たって描かせ、三河国高橋の長興寺に与語久三郎正勝が寄進した。天正11年6月2日」という意味です。
ここから分かるのは、単に信長を描いた絵ではなく、命日から1年後の供養に結び付いた作品だったということです。
信長が亡くなったのは1582年6月2日。その一周忌に当たる1583年6月2日の日付が残されているため、長興寺本は制作目的と伝来の背景を具体的にたどれる肖像画として重要視されています。
絵の中の信長は肩衣姿で描かれ、桃山時代の武将肖像画らしい装束の表現が見られます。衣装の色彩や文様にも当時の美意識が反映されており、単なる人物の記録にとどまらない美術史的な価値があります。
神戸市立博物館本:古溪宗陳の賛が示す一周忌の肖像
もう一つの重要作品が、神戸市立博物館所蔵の「織田信長像」です。
こちらは絹本著色で、縦73.3センチ、横36.8センチ。長興寺本とは異なり、信長が束帯姿で上畳に座る姿を描いています。
右手には笏を持ち、左脇には腰刀を佩いています。面長の顔、高い鼻、大きく見開いた眼、立派な髭が特徴です。
作品上部には、大徳寺総見院の初代住持となった禅僧・古溪宗陳(1532~1597)の賛が記されています。
ここで注意したいのが、古溪宗陳はこの作品の絵師として記録されているのではなく、賛を書いた人物だということです。文化庁の文化遺産データベースでも「古溪宗陳賛」と整理されており、絵師の落款や印章はありません。
つまり、古溪宗陳の名があるからといって、彼自身が肖像画を描いたわけではありません。肖像画の作者は不詳として扱うのが適切です。
賛には天正11年(1583年)の年記があり、信長の一周忌に合わせて制作された作品であることが分かります。
また、もともとは信長が安土城内に建立した摠見寺に伝わった作品です。その後、織田宗敦から池長孟へ渡り、1951年に市立神戸美術館、1965年に市立南蛮美術館、1982年に神戸市立博物館へと伝わりました。
平成26~27年度の解体修理では、画面の汚れが取り除かれ、束帯に施された織田家の家紋である木瓜紋が明瞭になりました。修理によって、作品の細部に隠れていた情報が改めて確認されたことも注目点です。
長興寺本が寄進銘によって一周忌との関係を伝えるのに対し、神戸市立博物館本は古溪宗陳の賛と伝来の記録によって、その歴史的背景を伝えています。
【作者・制作年代を比較】長興寺本・神戸本・大徳寺本の違い
ここでは、代表的な織田信長肖像画の作者、制作年代、制作目的、顔立ちや表現の違いを整理します。
| 作品名 | 制作年代・目的 | 作者・賛 | 主な特徴 |
|---|---|---|---|
| 長興寺本 | 天正11年(1583年)・一周忌 | 狩野元秀(宗秀)筆 | 肩衣姿。寄進者と日付を記した銘文が残る |
| 神戸市立博物館本 | 天正11年(1583年)・一周忌 | 作者不詳・古溪宗陳賛 | 束帯姿。笏を持ち、面長で大きな眼が特徴 |
| 総見院伝来本 | 16世紀・葬儀に掲げられた可能性 | 狩野永徳筆 | 葬儀との関係が注目される作品 |
| 大徳寺本 | 天正12年(1584年)・三回忌に関係 | 狩野永徳筆 | 肩衣・袴姿。裏彩色に異なる衣装表現が残る |
比較すると、最も大きな違いは制作目的と作者です。
長興寺本は狩野元秀、すなわち狩野宗秀による作品です。神戸市立博物館本は作者不詳であり、古溪宗陳は賛を記した人物です。そして大徳寺本は狩野永徳筆とされます。
狩野元秀と狩野永徳は兄弟ですが、同じ人物ではありません。永徳の弟が宗秀であり、元秀という名でも知られています。この関係を理解しておくと、信長の肖像画の作者比較が分かりやすくなります。
顔立ちについては、神戸市立博物館本に見られる面長の顔、高い鼻、大きな眼が代表的な特徴です。大徳寺本について京都国立博物館の山本英男氏は、面長で大きな鼻、切れ長の鋭い目、眉間や目の周囲の深い皺などを指摘しています。
一方、長興寺本と神戸市立博物館本では、衣装や座り方、描線の表現に違いがあります。作品ごとに異なる表現があるからといって、直ちに別人を描いたと判断することはできません。
むしろ、異なる絵師や制作目的、図像の伝承を考慮することで、当時の信長像がどのように表現されていたのかを読み解けます。

【狩野永徳の織田信長像】大徳寺本に残された描き直しの謎
織田信長の肖像画の中でも、美術史的に特に興味深いのが大徳寺所蔵の狩野永徳筆「織田信長像」です。
この作品は、かつて大徳寺の塔頭・総見院に伝来し、現在は大徳寺本坊が所蔵しています。縦約115センチ、横約51センチの絹本著色作品です。
作品には絵師の款印がありませんが、永徳の真筆である可能性が高い作品として研究者の注目を集めてきました。東京文化財研究所の年紀資料集成でも、狩野永徳筆、天正12年(1584年)の作品として整理されています。
2008~2009年の修理で発見された別の信長像
この作品が特に注目されるようになった理由は、京都国立博物館による修理調査です。
2008年9月から2009年10月にかけて解体修理が行われ、その過程で裏側に施された裏彩色に、表側とは大きく異なる衣装や顔の表現が残されていることが判明しました。
裏彩色は、絹本著色の絵画で絵の具の色を補い、画面の発色や深みを支える技法です。通常は表側の表現を補完するものですが、この作品では表と裏に明確な違いが見つかりました。
主な違いは次のとおりです。
- 小袖:表側は薄藍色で統一されている一方、裏側には左右で色が異なる華やかな片身替わりの表現がある。
- 刀:表側では脇差し1本だが、裏側には大刀と短刀の2本が描かれている。
- 桐紋:裏側には表側より大きな紋がゆったりと配置されている。
- 扇子:裏側の表現のほうが長く、幅も広い。
- 顔:透過赤外線撮影によって、口髭の両端が跳ね上がる別の筆線が確認された。
つまり、現在見えている信長像の下には、より華やかな衣装をまとった別の表現が存在していたのです。
豊臣秀吉が信長の肖像を地味に描き直させたのか
この発見から浮上したのが、豊臣秀吉による描き直し説です。
大徳寺では秀吉が主導して信長の葬儀を営み、その後も一周忌や三回忌などの追善供養が行われました。総見院は信長の位牌所として建立された寺院であり、肖像画が宗教儀礼と政治的な意味の両方を担っていたことがうかがえます。
京都国立博物館の山本英男氏は、修理調査で確認された衣装や刀の違いなどをもとに、秀吉が信長像の描き直しに関与した可能性を論じています。
秀吉が信長の威光をどのように扱うかは、当時の政治状況とも深く関係していました。信長を弔う行為は、同時に自らが後継者としての立場を確立するための政治的な演出にもなり得たからです。
ただし、秀吉が具体的にどのような命令を出したのか、その理由が何だったのかについて、直接的な命令書が確認されているわけではありません。衣装を地味に変更した理由を秀吉の嫉妬や意図だけで断定することはできません。
2026年の東京国立博物館の特別展でも、この描き直しの痕跡が紹介されており、信長の肖像画をめぐる重要な研究テーマになっています。
【織田信長の本当の顔はどれ?】肖像画の真相と見分け方
複数の肖像画を見比べると、信長の顔立ちは作品によって違って見えます。そこで気になるのが、「結局、どの肖像画が本当の信長に近いのか」という疑問です。
現存する肖像画は、現代の写真のように人物の顔をそのまま記録したものではありません。制作した絵師の表現、注文主の意向、追善供養という目的、当時の人物肖像画の様式などが反映されています。
そのため、特定の一枚だけを唯一の正解とするのは難しい問題です。
木造織田信長坐像も顔立ちを考える重要資料
肖像画と併せて注目したいのが、大徳寺総見院に伝わる重要文化財「木造織田信長坐像」です。
この像は天正11年(1583年)5月に制作されたもので、像底の朱書銘には七条大仏師・宮内卿法印康清の名が記されています。
信長の一周忌に合わせて制作されたと考えられており、肖像画と同時代の信長の姿を考えるための重要な資料です。
文化庁の文化遺産データベースによれば、顔は唇が薄く、顎が尖った面長の造形です。神戸市立博物館本や長興寺本の顔立ちとも共通する特徴が認められます。
絵画だけでなく彫刻にも似た顔立ちが表れていることは、当時共有されていた信長の図像を考えるうえで興味深い点です。
織田信長の肖像画を見分ける5つのポイント
肖像画の違いを自分で見極めるなら、次の5点を確認すると整理しやすくなります。
1. 制作年代を確認する
天正11年(1583年)なのか、天正12年(1584年)なのかを確認します。一周忌と三回忌では制作の背景が異なります。
2. 作者と賛者を区別する
長興寺本は狩野元秀(宗秀)筆、神戸市立博物館本は作者不詳で古溪宗陳賛、大徳寺本は狩野永徳筆とされています。賛を書いた人物と絵を描いた人物を混同しないことが大切です。
3. 衣装と姿勢を確認する
肩衣姿なのか、束帯姿なのかによって作品を識別しやすくなります。笏や刀、扇子などの持ち物も重要な手掛かりです。
4. 銘文と伝来を調べる
長興寺本のように寄進者と日付が残る作品もあれば、神戸市立博物館本のように寺院の伝来と賛が重要な作品もあります。作品の由来は作者の推定と同じくらい重要です。
5. 原本と模本を区別する
後世に描かれた模写や複製は、原本とは制作年代が異なります。東京国立博物館には長興寺本の模本や、天正16年(1588年)の七回忌に制作された信長像の原本を写した作品なども伝わっています。
肖像画一覧を見るときに注意したい別の作品
信長の肖像画は、長興寺本や神戸市立博物館本だけではありません。後世の模本や寺院に伝わった作品も含めると、さまざまな図像が存在します。
- 長興寺本:天正11年の一周忌に関係する重要文化財。
- 神戸市立博物館本:古溪宗陳の賛を持つ天正11年の重要文化財。
- 総見院蔵・狩野永徳筆:16世紀の作品で、葬儀に掲げられた可能性が指摘されている。
- 大徳寺蔵・狩野永徳筆:天正12年の作品。描き直しの痕跡が確認されている。
- 大雲院伝来の信長像:江戸時代に模写された作品が兵庫県立歴史博物館に伝わる。
- 七回忌の信長像の模本:天正16年(1588年)を原本の制作年代とする作品の写しが伝わる。
このように、織田信長の肖像画一覧を調べる際には、制作当時の原本と後世の模本を分けて考える必要があります。

【2026年最新】東京国立博物館の大徳寺展で見られる信長像
2026年の織田信長肖像画をめぐる大きな話題が、東京国立博物館で開催中の開創700年記念特別展「大徳寺 本朝無双之禅苑」です。
会期は2026年10月14日から12月6日まで。大徳寺の開創700年を記念し、通常は公開される機会の少ない寺宝を含む作品が紹介されています。
この展覧会では、狩野永徳筆の信長像が前期・後期で異なる作品として紹介される点に注目です。
前期:総見院蔵の狩野永徳筆「織田信長像」
前期展示は10月14日から11月8日までです。
総見院所蔵の狩野永徳筆「織田信長像」は、安土桃山時代の16世紀の作品です。信長の葬儀に掲げられた可能性がある肖像として紹介されています。
信長の死後、秀吉が大徳寺で盛大な葬儀を執り行った歴史と結び付けて鑑賞すると、肖像画が単なる追悼の品ではなく、当時の政治や権力の移り変わりを映す資料でもあったことが見えてきます。
後期:天正12年の狩野永徳筆「織田信長像」
後期展示は11月10日から12月6日までです。
こちらは大徳寺所蔵の狩野永徳筆「織田信長像」で、天正12年(1584年)の作品です。
秀吉が主催した三回忌のために制作されたとみられ、着衣の色などが描き直された可能性も紹介されています。
前期の総見院蔵作品と後期の大徳寺蔵作品は、いずれも永徳筆として紹介されていますが、制作年代や伝来、法要との関係が異なります。同じ作者の信長像を比較できる貴重な機会です。
2026年10月31日現在は前期展示の期間中です。後期の作品を目的に訪れる場合は、11月10日以降の展示期間を確認しておく必要があります。
展覧会の基本情報は以下のとおりです。
- 展覧会名:開創700年記念 特別展「大徳寺 本朝無双之禅苑」
- 会場:東京国立博物館 平成館
- 会期:2026年10月14日~12月6日
- 前期:10月14日~11月8日
- 後期:11月10日~12月6日
- 開館時間:9時30分~17時
- 観覧料:一般2,300円、大学生1,300円、高校生900円
展示作品の入れ替えがあるため、永徳筆のどの信長像を見たいのかによって来館日を選ぶことが大切です。
【プロの結論】織田信長の肖像画から読み解く人物像と歴史的価値
織田信長の肖像画を比較すると、見えてくるのは一人の武将の顔だけではありません。信長が亡くなった後、周囲の人々が彼をどのように記憶し、後世に伝えようとしたのかという歴史そのものです。
長興寺本は、与語久三郎正勝による寄進の記録を通じて、主君への報恩と一周忌の供養を伝えています。神戸市立博物館本は、古溪宗陳の賛と束帯姿によって、信長を高い格式と威厳を備えた存在として表現しています。
一方、狩野永徳筆の大徳寺本は、秀吉の時代における信長の記憶と追善供養のあり方を考える重要な作品です。裏彩色の発見は、肖像画が固定されたイメージではなく、時代の事情に応じて変化した可能性を示しています。
特に重要なのは、肖像画に描かれた信長と、歴史上の信長を完全に同一視しないことです。
顔立ちが似ているかどうかだけでは、本人の実像を完全に復元できません。しかし、同時代の肖像画、木造坐像、制作銘、寺院の記録を組み合わせれば、信長の外見や当時の人物評価について、より立体的な理解が可能になります。
2026年の大徳寺展は、狩野永徳による複数の信長像を比較できる機会でもあります。長興寺本や神戸市立博物館本と併せて見ることで、1580年代の肖像画が担った宗教的・政治的な役割を考える手掛かりになるでしょう。
織田信長の肖像画に関するよくある質問(FAQ)
Q1:織田信長の肖像画で最も有名なのはどれですか?
A1:長興寺本と神戸市立博物館本が代表的です。長興寺本は狩野元秀(宗秀)筆で、天正11年の一周忌に関係する寄進銘が残っています。神戸市立博物館本は古溪宗陳の賛を持つ重要文化財です。
Q2:織田信長の肖像画を描いた作者は誰ですか?
A2:代表的な作者として狩野元秀(宗秀)と狩野永徳が挙げられます。長興寺本は元秀筆、大徳寺本は永徳筆とされています。一方、神戸市立博物館本は作者不詳で、古溪宗陳は賛を書いた人物です。
Q3:織田信長の一周忌に描かれた肖像画はどれですか?
A3:長興寺本と神戸市立博物館本が代表例です。長興寺本には天正11年(1583年)6月2日の寄進銘があり、神戸市立博物館本には同年の古溪宗陳による賛が記されています。
Q4:大徳寺の織田信長像は狩野永徳が描いたのですか?
A4:大徳寺所蔵の1584年の作品は狩野永徳筆として紹介されています。ただし、絵の中に絵師の款印はありません。京都国立博物館の研究では、修理調査による新知見をもとに永徳真筆の可能性が論じられています。
Q5:織田信長の本当の顔が分かる肖像画はありますか?
A5:本人の顔を写真のように完全再現した作品はありません。ただし、1583年の長興寺本や神戸市立博物館本、総見院の木造坐像などは、信長と同時代に近い時期の重要な資料です。面長の顔や鼻の高さ、目元など、複数の作品に共通する特徴を比較することで人物像を考察できます。
Q6:2026年に織田信長の肖像画を見られる展覧会はありますか?
A6:東京国立博物館の特別展「大徳寺 本朝無双之禅苑」が2026年12月6日まで開催されています。総見院蔵の狩野永徳筆作品は11月8日までの前期展示、大徳寺蔵の天正12年(1584年)の作品は11月10日からの後期展示です。
まとめ:織田信長の肖像画は年代・作者・伝来を比較して理解する
織田信長の肖像画には、長興寺本、神戸市立博物館本、大徳寺本など、制作年代や作者、表現の異なる複数の作品が伝わっています。
天正11年(1583年)の一周忌に関係する長興寺本と神戸市立博物館本は、信長の死後間もない時期の人物像を考えるうえで重要です。一方、狩野永徳筆の大徳寺本は、天正12年(1584年)の三回忌に関係し、修理によって衣装や刀の描き直しの痕跡が明らかになった作品です。
また、古溪宗陳は神戸市立博物館本の賛者であり、狩野元秀(宗秀)と狩野永徳は兄弟でありながら別の絵師です。こうした基本的な関係を整理するだけでも、肖像画の理解は大きく変わります。
2026年の大徳寺開創700年記念展では、狩野永徳筆の異なる信長像が前期・後期に分けて紹介されています。作品の制作年代や伝来を意識して鑑賞すれば、肖像画の違いだけでなく、信長の死後に進んだ追善供養や権力継承の歴史まで読み取ることができます。
信長の本当の顔を知るための答えは、一枚の肖像画だけにあるのではありません。絵画、彫刻、銘文、寺院の記録を横断して比較することこそ、歴史上の織田信長に近づくための最も確かな手掛かりです。
(出典: 織田 信長 肖像画(Yahoo!ニュース))