【病気の真相】三原綱木さんを襲った複数の病気とは?
三原さんが経験した病気は、一度の発症で終わるものではありませんでした。2025年の『徹子の部屋』で本人が語った内容を整理すると、血栓による右目の失明、脳梗塞、糖尿病による足指の壊死と切断、心筋梗塞、肺に水がたまる症状、肺気腫など、複数の病気と向き合っていたことが分かります。
1.血栓が原因で右目を失明
三原さんは、2023年の脳梗塞より前に、血栓が原因で右目の視力を失っていました。
2025年10月28日の『徹子の部屋』では、本人が右目について「まったく見えない」という状態を説明しています。
血栓による視力障害は、日常生活だけでなく、ギタリストとしての活動にも影響しかねない出来事です。
ただし、具体的な血管名や医学的な病名、治療内容については、番組報道では詳しく説明されていません。
2.2023年10月に脳梗塞を発症、救急搬送される
三原さんが脳梗塞を発症したのは、2023年10月です。
当時の状況について、妻のケイ・アンナさんは2025年の番組で振り返っています。
病院から帰宅した三原さんの表情や受け答えに違和感を覚えたアンナさん。夜中にトイレで三原さんがけいれんを起こしていることに気づき、脳梗塞を疑って救急車を呼びました。
三原さん本人は、発症当時の記憶について次のように語っています。
「1週間くらいは全く記憶がなかったです。どこに自分がいるんだか分からなかった」
早期に治療を受けられたことで、幸いにも後遺症は残らなかったといいます。
番組出演時には、ギター演奏も歌も続けられていることについて、本人が喜びを語っていました。
「ギターを弾いて歌えてよかったです。助かりました」
脳梗塞を経験した後も音楽活動への意欲を失わなかったことが、当時の放送から伝わってきます。
3.糖尿病の悪化で右足の中指を切断
三原さんの闘病生活で、特に大きな精神的負担となったのが糖尿病による足指の切断です。
糖尿病の悪化によって右足の中指が壊死し、最終的に切断することになりました。
本人は『徹子の部屋』で、当時の心境を率直に明かしています。
「あの時は泣きましたけど、考えたらもっといろんな人がいっぱいいるんで、泣いてちゃいけないと思ってね」
足指の切断は、歩行や日常生活だけでなく、ステージに立つ音楽家にとっても大きな問題です。
それでも三原さんは、病気を経験した後も演奏を続けていました。
なお、報道で確認できる切断部位は右足の中指です。足全体や複数の指を切断したという情報とは区別する必要があります。
4.肺に水がたまる症状や心筋梗塞、肺気腫も経験
三原さんは、脳梗塞や糖尿病以外にも、心筋梗塞や肺に水がたまる症状、肺気腫について語っていました。
2025年のMANTANWEBの番組報道によると、肺に水がたまって息ができなくなった経験や、心筋梗塞を患ったことも本人が明かしています。
ここで注意したいのは、肺に水がたまる症状と肺気腫は別の病態だという点です。番組で語られた経緯を、すべて同一の病気として扱うことはできません。
これらの病歴が重なり、三原さんは長い期間にわたって健康上の問題を抱えていました。
【病状の推移を時系列で整理】2023年の脳梗塞から2026年の腎臓がんまで
三原さんの病気を理解するには、2025年に公表された過去の闘病歴と、2026年9月に明らかになった最終的な療養経緯を分けて見ることが大切です。
以下に、本人や妻の証言、所属事務所の発表、報道各社の記事で伝えられた出来事をまとめました。
出典:テレビ朝日『徹子の部屋』関連報道、MANTANWEB、デイリースポーツ、日刊スポーツ、所属事務所の発表資料。
この年表から読み取れるのは、2023年の脳梗塞と2026年の腎臓がんは、別々の時期に公表された病気だということです。
また、2025年10月のテレビ出演時には、本人がギター演奏や歌を続けられることを喜んでいました。その後、2026年春以降に体調が悪化し、入院生活に移ったという経緯です。
【2026年9月の訃報】腎臓がんの発覚から最期まで何があったのか?
三原さんの最期については、所属事務所の発表だけでなく、妻のケイ・アンナさんがデイリースポーツの取材に応じ、具体的な療養経緯を明らかにしています。
4月から入院、8月に腎臓がんが判明
2026年3月に大阪でコンサートに出演した後、三原さんは体調を崩しました。
日刊スポーツは、ライブ出演後に都内の病院へ入院し、療養していたと報道しています。
さらに、9月16日付のデイリースポーツは、ケイ・アンナさんへの取材を通じて、より詳しい経緯を伝えました。
- それ以前の約5年間も入退院を繰り返していた。
- 2026年4月から入院生活に入った。
- その後、リハビリ病院へ転院した。
- 8月に腎臓がんが判明した。
- 腎臓から膵臓、肝臓への転移が確認されたと報じられた。
- 8月下旬には緩和ケアに移った。
腎臓がんが判明した時点で、すでに病状が進行していたことも伝えられています。
最後の会話は2026年9月9日
ケイ・アンナさんの証言で特に印象的なのが、三原さんとの最後の会話です。
デイリースポーツの報道によると、9月9日、アンナさんが病室を離れる際に「明日も来るからね」と声をかけたところ、三原さんは大きな声で感謝を伝えました。
「マミー、ありがとう!!」
これが、夫婦にとって最後の会話になったといいます。
長年にわたって病気と向き合ってきた二人の関係を象徴するエピソードです。
9月11日午前9時2分、80歳で逝去
2026年9月11日午前9時2分、三原さんは腎臓がんのため、東京都内の病院で亡くなりました。
所属事務所の坂本エンターテインメントは9月15日、公式発表で訃報を公表しました。
発表では、三原さんが病気療養中だったこと、腎臓がんのため80歳で亡くなったこと、葬儀・告別式は故人の遺志によって家族葬で執り行ったことが伝えられています。
腎臓がんが死因であることは所属事務所の正式発表で確認できます。一方、糖尿病や脳梗塞が腎臓がんを引き起こしたという説明は公表されていません。複数の病歴を一つの原因に結びつけることはできません。
2026年11月30日にお別れの会を開催
2026年10月30日現在、所属事務所の公式サイトでは三原さんのお別れの会について案内されています。
三原綱木さん お別れの会
2026年11月30日(月)
14:00~16:00(受付13:30~)
東京都青山葬儀所
主催:三原綱木お別れの会実行委員会・合同会社坂本エンターテインメント。参会希望者の申し込み期限は11月16日と案内されています。
出典:所属事務所が公開したお別れの会の案内状。
長年応援してきたファンや音楽関係者にとって、本人に別れを告げる機会となります。
【ケイ・アンナさんとの闘病生活】音楽を続けた三原綱木さんの生涯
三原さんの闘病生活を語るうえで欠かせない存在が、妻のケイ・アンナさんです。
2025年10月の『徹子の部屋』では、結婚46年を迎えた夫婦が出演し、病気と向き合ってきた日々を振り返りました。
妻の機転が脳梗塞の早期発見につながった
2023年の脳梗塞では、アンナさんが三原さんの異変に気づき、救急車を呼んだことが重要な出来事でした。
本人は発症当時の記憶がほとんどありませんでしたが、早期治療によって後遺症が残らなかったと語っています。
病気が繰り返されるなかでも、アンナさんは夫を支え続けました。
2025年の番組では、三原さんが妻への感謝を込めて、ギター演奏と歌をサプライズでプレゼントしています。
披露した曲は、アンナさんが好きなエルヴィス・プレスリーの「Love Me Tender」でした。
音楽を通じて感謝を伝えたこの場面は、夫婦の関係を象徴する印象的なエピソードです。
ジャッキー吉川とブルー・コメッツで築いた音楽人生
三原さんは1945年11月3日生まれ。小学生のころからギターを学び、1964年に「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」に加入しました。
同グループは、1960年代のグループサウンズを代表する存在です。
1967年には「ブルー・シャトウ」が大ヒットし、第9回日本レコード大賞を受賞。三原さんはギター兼ボーカルとしてグループの黄金期を支えました。
1972年にグループを離れた後も、音楽活動を続けています。
1976年には郷ひろみさんのバックバンドを結成してリーダーを担当。1986年からはビッグバンド「三原綱木とザ・ニューブリード」のバンドマスターとして活躍しました。
NHK紅白歌合戦やNHK歌謡コンサートなどでは、指揮・編曲の分野でも実績を残しています。
2001年にはブルー・コメッツの再結成に参加し、2020年1月まで活動しました。
最後のライブは2026年3月15日の大阪・新歌舞伎座
三原さんの最後のステージとなったのは、2026年3月15日に大阪・新歌舞伎座で開催された「THE G.S~栄光のグループサウンズ~アンコール!!」です。
この公演では、ザ・ゴールデン・カップスのミッキー吉野さんや、ザ・タイガースの加橋かつみさんら、グループサウンズ時代の仲間たちと共演しました。
公演後に体調を崩し、都内の病院で療養することになったと報じられています。
2025年10月の『徹子の部屋』では、ギターを弾き、声が出る限り歌い続けたいという思いを示していました。
その約5か月後の大阪公演が、結果として最後のステージとなりました。
三原さんの音楽人生を振り返ると、ギタリスト、ボーカリスト、バンドマスター、指揮者と、活動の幅を広げてきたことが分かります。
病気によって活動に制約が生じても、音楽家としての歩みを続けたことは、長年のキャリアを語るうえで欠かせない部分です。
【三原綱木さんの病気】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:三原綱木さんの死因は何ですか?
A1:2026年9月11日、腎臓がんのため80歳で亡くなりました。9月15日に所属事務所の坂本エンターテインメントが正式に発表しています。
Q2:三原綱木さんは脳梗塞をいつ発症しましたか?
A2:2023年10月です。夜中に自宅のトイレで倒れ、妻のケイ・アンナさんが救急車を呼びました。約1週間の記憶がなかったものの、早期治療によって後遺症は残らなかったと本人が説明しています。
Q3:糖尿病で足のどこを切断したのですか?
A3:糖尿病の悪化によって壊死した右足の中指を切断しました。2025年10月28日放送の『徹子の部屋』で本人が明かしています。
Q4:三原綱木さんは失明していたのですか?
A4:はい。脳梗塞を発症する前に、血栓が原因で右目を失明したと本人が語っています。
Q5:三原綱木さんの最後のライブはいつですか?
A5:2026年3月15日、大阪・新歌舞伎座で開催された「THE G.S~栄光のグループサウンズ~アンコール!!」です。
Q6:腎臓がんはいつ発覚したのですか?
A6:妻のケイ・アンナさんの取材証言によると、2026年8月に判明しました。腎臓から膵臓、肝臓への転移が報じられ、8月下旬には緩和ケアに移ったとされています。
Q7:三原綱木さんのお別れの会はいつ開催されますか?
A7:所属事務所の案内によると、2026年11月30日に東京都青山葬儀所で開催予定です。時間は14時から16時までで、受付は13時30分からです。
まとめ:三原綱木さんの病気と音楽人生、最期までの歩み
三原綱木さんは、2023年の脳梗塞をはじめ、血栓による右目の失明、糖尿病による右足中指の切断、心筋梗塞、肺の病気など、複数の健康上の問題を経験していました。
2025年10月の『徹子の部屋』では、妻のケイ・アンナさんとともに闘病生活を振り返りながら、ギターを弾き、歌い続けられる喜びを語っていました。
しかし、2026年3月の大阪公演後に体調が悪化。4月から入院し、8月に腎臓がんが判明しました。膵臓や肝臓への転移も伝えられ、8月下旬には緩和ケアへ移行。そして9月11日午前9時2分、80歳で亡くなりました。
三原さんの人生を振り返ると、グループサウンズの黄金期を支えたギタリストとしてだけでなく、郷ひろみさんのバックバンドや「三原綱木とザ・ニューブリード」の指揮者として、日本の歌謡界に長く貢献してきたことが分かります。
病気との闘いを続けながらも、最後まで音楽を愛し、妻への感謝を忘れなかった三原さん。2026年11月30日にはお別れの会も予定されています。
三原綱木さんが残した音楽と、長年にわたる音楽界への功績は、これからも多くのファンの記憶に残り続けるでしょう。
(出典: 三原 綱木 病気(Yahoo!ニュース))