ラスト・タンゴ・イン・パリ問題シーンの真相は?バター場面の同意と撮影経緯を徹底解説
1972年公開の映画『ラスト・タンゴ・イン・パリ』をめぐり、半世紀以上にわたって議論されているのが、マーロン・ブランドとマリア・シュナイダーが演じた通称「バターシーン」だ。劇中では性的暴力を描いた場面だが、問題の核心は映像表現だけではない。撮影前に何が説明され、19歳だったシュナイダー本人がどこまで同意していたのかという、映画制作の倫理に関わる問題である。
2013年にベルナルド・ベルトルッチ監督が語った撮影経緯、2016年に再燃した騒動、そして2025年にジェシカ・パルー監督がオリジナル脚本を確認したうえで語った証言を照合すると、重要な事実が見えてくる。実際の性行為があったのか、問題の場面は脚本に書かれていたのか、そして撮影現場で何が起きたのか。2026年の視点から順番に整理する。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 実際の性行為:バターシーンは演技として撮影されており、実際の性交や挿入が行われたわけではない。
- 撮影時の同意:シュナイダーはバターを使う具体的な演出を事前に知らされておらず、本人は強い屈辱と精神的苦痛を証言している。
- 2013年の監督発言:ベルトルッチはブランドと当日にバターの使用を考案し、本人に知らせなかったと認めた。
- 2025年の脚本検証:ジェシカ・パルー監督は撮影現場で使用されたオリジナル脚本を確認し、有名な場面の具体的な演出が書かれていなかったことを説明した。
- 現在の評価:映画の芸術的価値と、撮影現場での同意・倫理の問題は分けて検討する必要がある。
【問題シーンの正体】ラスト・タンゴ・イン・パリのバター場面とは何だったのか
1972年公開の問題作と主要人物
『ラスト・タンゴ・イン・パリ』は、イタリアの映画監督ベルナルド・ベルトルッチが手がけた1972年の映画だ。マーロン・ブランド演じるアメリカ人男性ポールと、マリア・シュナイダー演じる若いフランス人女性ジャンヌが、パリのアパートをきっかけに匿名の関係を築いていく物語である。
主演の2人は撮影当時、ブランドが48歳、シュナイダーが19歳だった。すでにハリウッドを代表するスターだったブランドに対し、シュナイダーは本作で大きな注目を集めた若手女優だった。この経験の差や監督・出演者間の権力関係も、後の議論を理解するうえで重要になる。
映画には大胆な性描写が含まれ、公開当時から芸術性と性的表現の境界をめぐって議論を呼んだ。そのなかでも、ポールがジャンヌに性的暴力を加える場面は、バターを潤滑剤として使用する演出から「バターシーン」と呼ばれるようになった。
問題は、劇中の暴力的な行為を描いたことだけではない。その演出を実際に撮影する際、シュナイダーに具体的な内容が十分に説明されていなかったという点にある。
なぜバターシーンが特別な問題になったのか
映画の中では、性的暴力を受ける女性の恐怖や抵抗が描かれる。しかし、シュナイダーは後年のインタビューで、撮影中に流した涙は演技ではなかったと説明している。
つまり、観客がスクリーン上で見ていた感情表現の一部には、役柄としての演技だけではなく、本人が撮影現場で実際に感じた屈辱や怒りが反映されていた。
ここで区別すべきなのは、劇中の性的暴力と、撮影現場での出演者に対する扱いである。フィクションの中で暴力を表現することと、その表現を撮影するために出演者の同意や心理的安全を軽視することは、同じ問題ではない。

【撮影経緯を時系列で検証】マリア・シュナイダーは何を知らされていなかったのか
2007年:マリア・シュナイダーが自らの経験を証言
問題を理解するうえで欠かせないのが、シュナイダーが2007年に英デイリー・メールのインタビューで語った内容だ。
彼女によれば、バターを使用する演出は当初の脚本にはなく、マーロン・ブランドが考えたアイデアだった。撮影直前になって内容を知らされ、非常に怒りを感じたという。
「屈辱を感じた。正直に言えば、マーロンとベルトルッチの両方から少しレイプされたように感じた」
— マリア・シュナイダーの2007年のインタビューでの証言(日本語訳)
彼女は、撮影前に代理人や弁護士を呼ぶべきだったと振り返り、当時は脚本にないことを出演者に強制できないという認識が十分になかったとも語った。
さらに、ブランドから「映画なのだから心配しなくていい」という趣旨の言葉をかけられたものの、撮影中は本当に涙を流していたと説明している。撮影後にブランドから慰めや謝罪はなかったとも証言した。
2013年:ベルトルッチ監督が撮影当日の判断を説明
2013年、ベルトルッチはパリのシネマテーク・フランセーズでのイベントにおいて、問題の場面について説明した。
監督によると、ブランドと撮影当日の朝、アパートで朝食を取っていた際、バゲットとバターを目にしたことから、バターを使う演出を思いついたという。
さらに、シュナイダーにはその内容を知らせなかったことを認め、次のような趣旨の発言をした。
「女優としてではなく、一人の少女としての反応が欲しかった」
— ベルナルド・ベルトルッチ監督の2013年の発言(日本語訳)
監督は、彼女に屈辱や怒りを演技させるのではなく、実際に感じさせたかったという考えも明かしている。本人に知らせなかったことについては罪悪感を認めながらも、演出の判断そのものを後悔していないと語った。
この発言が示しているのは、単なる演出上のサプライズではない。出演者の心理的反応を得るため、本人が知らない状態を意図的に作り出したという問題である。
撮影経緯に関する証言の違い
シュナイダー、ベルトルッチ、そして撮影スタッフの証言を並べると、争点は主に脚本に記載されていた内容と、撮影当日に追加された演出の範囲にある。
とりわけ、脚本に性的暴力の展開があったことと、実際に撮影されたバターシーンの具体的な動作が事前に合意されていたことは、分けて考える必要がある。
【証言と事実を比較】2016年のバターシーン騒動で何が明らかになった?
2016年12月、2013年のベルトルッチの発言映像が再び注目され、国際的な批判が広がった。監督が本人に知らせずに演出を実行したことを認めていたためだ。
一方、ベルトルッチは騒動を受けて声明を発表し、シュナイダーが脚本を読んでいた以上、劇中の暴力的な展開そのものは理解していたと主張した。本人に伝えていなかったのは、バターを使用するという具体的なアイデアだったという説明である。
撮影監督ヴィットリオ・ストラーロも、実際の性行為や暴行が行われたわけではないとして監督を擁護した。こうした説明とシュナイダー本人の証言が並んだことで、騒動はさらに複雑になった。
| 時期 | 人物・出来事 | 確認できる内容と論点 |
|---|---|---|
| 1972年 | 映画公開 | 19歳のシュナイダーと48歳のブランドが共演。バター場面が撮影される。 |
| 2007年 | シュナイダーの証言 | バターの演出は脚本になく、撮影直前に知らされたと説明。屈辱と精神的苦痛を語る。 |
| 2013年 | ベルトルッチの発言 | ブランドと当日にバターの使用を考案し、シュナイダーには知らせなかったと認める。 |
| 2016年12月 | 国際的な批判 | 2013年の映像が再浮上。監督は脚本に暴力的な展開があり、バターだけが追加要素だったと釈明。 |
| 2024年 | 『タンゴの後で』がカンヌで上映 | ジェシカ・パルー監督がシュナイダーの視点から事件を再構成。 |
| 2025年 | 脚本資料の再検証 | パルー監督が撮影現場で使用された脚本を確認。具体的なバター場面の演出が書かれていなかったと説明。 |
2016年の声明でベルトルッチは、騒動を「ばかげた誤解」と位置づけた。しかし、本人にバターの使用を知らせなかったこと自体は否定していない。
ここで重要なのは、監督の釈明がシュナイダーの証言を全面的に否定するものではなかったことだ。むしろ、何が脚本に書かれていたのか、撮影当日に何が追加されたのかという具体的な検証が必要になった。
また、撮影監督ストラーロは撮影現場にいた立場から、実際の暴行はなかったと説明した。ただし、実際の性行為がなかったことと、出演者に十分な説明や同意があったことは別の論点である。

【実際の性行為はあった?】バターシーンの真相と同意問題を切り分ける
実際の性交や挿入は行われていない
最も検索される疑問の一つが、「マーロン・ブランドとマリア・シュナイダーは本当に性行為をしたのか」という点だ。
確認されている証言によれば、実際の性交や挿入は行われていない。映像に映る性的暴力は、映画の演出として撮影されたものだ。
シュナイダー自身も2007年のインタビューで、ブランドが実際に性行為をしていたわけではないと説明している。2016年のガーディアン紙も、彼女が撮影は模擬的なもので、実際の性行為はなかったと明言したことを報じている。
したがって、「カメラの前で本当に性行為が行われた」というネット上の説明は、本人の証言と一致しない。
実際の性行為がなくても同意問題は残る
では、実際の性行為がなかったのであれば、なぜこれほど長く問題視されているのか。
理由は、出演者が撮影する内容を十分に知らされていたか、身体的・心理的な負担を理解したうえで参加できたかという問題が残るからだ。
シュナイダーの証言では、バターを使う演出は撮影当日の直前まで知らされていなかった。さらに、彼女の反応を自然に引き出すため、監督はその内容を意図的に伏せていたと認めている。
これは、一般的な演技上のサプライズとは性質が異なる。性的暴力を描く場面では、身体の露出、接触、衣服の扱い、演技の強度などについて、出演者が事前に理解し、納得していることが不可欠だからだ。
映画のためにリアルな感情を引き出したいという監督の意図があったとしても、出演者の同意を省略する理由にはならない。
誤解しやすい3つのポイント
誤解1:実際に性行為が行われた。
事実とは異なる。本人の説明では、実際の性交はなく、映像上の演技だった。
誤解2:監督は何も問題を認めていない。
これも正確ではない。2013年の発言で、シュナイダーに演出の内容を知らせなかったことを認めている。
誤解3:脚本に暴力的な場面があれば、撮影時の同意も成立している。
脚本を読むことと、撮影当日に追加される具体的な演出に同意することは別である。今回の問題は、その区別が十分に守られなかった点にある。
【2025年の再検証】ジェシカ・パルー監督がオリジナル脚本を確認して分かったこと
この問題を改めて検証するうえで重要なのが、ジェシカ・パルー監督による映画『タンゴの後で』の制作と、2025年に紹介されたオリジナル脚本の調査結果だ。
撮影現場で使われた脚本を入手
パルー監督は、マリア・シュナイダーのいとこであるジャーナリスト、バネッサ・シュナイダーの著書をもとに、彼女の人生を映画化した。
監督はベルナルド・ベルトルッチの2003年作品『ドリーマーズ』でインターンとして映画制作の現場を経験している。マリアと同じ19歳の頃にベルトルッチの作品に関わった経験もあり、撮影現場における権力関係に強い関心を持っていた。
2025年4月のアイリッシュ・タイムズのインタビューでは、パルー監督がシネマテーク・フランセーズのアーカイブから『ラスト・タンゴ・イン・パリ』のオリジナル脚本を入手し、問題の場面が脚本に存在しなかったことを自分の目で確認したと説明している。
さらに、2025年公開の映画のプレス資料に掲載された監督インタビューでは、撮影現場で使用され、スクリプトスーパーバイザーによる書き込みが残された脚本を確認した経緯が詳しく語られている。
脚本に書かれていたこと、書かれていなかったこと
ここで注意したいのは、脚本に暴力的な展開が一切なかったという意味ではないことだ。
パルー監督の説明によれば、当初の場面には暴力的な動作で終わる展開が想定されていた。しかし、撮影現場で実際に行われたバターシーンの具体的な動作は、脚本に記載されていなかった。
具体的には、ブランド演じる人物がシュナイダー演じる人物のズボンを下ろすことや、バターを使い、性的暴力を模した演出を行うことが、脚本に書かれていなかったという。
この点は、2016年にベルトルッチが説明した「暴力的な展開は脚本にあり、追加されたのはバターの使用だけ」という釈明を考えるうえで重要だ。
2025年1月のル・モンドによる調査でも、パルー監督から提供されたオリジナル脚本の写真が確認されている。同紙は、脚本には女性のズボンを下ろすこと、バターを使用すること、性的暴力を模した動作を行うことが記されていないという監督の説明を紹介した。
つまり、脚本に何らかの暴力的な展開があったことと、実際のバターシーンの詳細まで事前に決まっていたことは同じではない。2025年の資料検証は、この違いを具体的に示したものだった。
再現撮影ではインティマシー・コーディネーターを起用
パルー監督は『タンゴの後で』で問題の場面を再現するにあたり、シュナイダーの視点を中心に据えた。
撮影現場にはインティマシー・コーディネーターを配置し、出演者の安全と心理的な負担に配慮した。また、身体的な動きを再現するため、スタントマンも起用したという。
この対応は、1970年代の撮影現場と、現代の映画制作との違いを示すものでもある。感情のリアリティを求めることと、出演者に予期しない屈辱を与えることは別だという考え方が、作品の制作過程にも反映されている。
映画『タンゴの後で』の基本情報
『タンゴの後で』は、マリアの人生を問題の撮影前後にわたって描いたフランス映画である。原題は『Maria』、英題は『Being Maria』。2024年製作で、第77回カンヌ国際映画祭のカンヌ・プルミエール部門で上映された。
日本では2025年9月5日に劇場公開され、作品の配給元であるトランスフォーマーの公式作品情報では、上映時間102分、PG-12と案内されている。
主な出演者は次のとおりだ。
- マリア・シュナイダー役:アナマリア・ヴァルトロメイ
- マーロン・ブランド役:マット・ディロン
- ベルナルド・ベルトルッチ役:ジュゼッペ・マッジョ
- ダニエル・ジェラン役:イヴァン・アタル
- ヌール役:セレスト・ブランケル
本作は問題の場面を単純に再現する映画ではない。シュナイダーが撮影後にどのような視線を浴び、どのように女優としての人生を歩んだのかまで描く作品である。

【映画撮影における同意と倫理】作品の芸術性と制作現場の責任は両立できるか
名作ならば撮影時の問題は許されるのか
『ラスト・タンゴ・イン・パリ』をめぐる議論には、映画の芸術的価値をどう評価するかという問題も含まれる。
本作は映画史に残る作品として評価されてきた。一方、出演者への説明や同意をめぐる問題が明らかになったことで、作品をどのような文脈で上映し、紹介するべきかという議論が生まれた。
2025年1月のル・モンドの報道によれば、シネマテーク・フランセーズでは2024年12月15日に予定されていた本作の上映をめぐり、事前の十分な説明や討論の場がないことに批判が集まった。最終的に上映は12月14日に取り下げられた。
同館のコスタ=ガブラス館長は、問題の場面について適切な説明を付けなかったことを誤りとして認めた。作品を上映するか否かだけではなく、歴史的背景や出演者の経験を観客にどう伝えるかが問われたのである。
ジェシカ・パルー監督は作品の封印に賛成していない
2025年9月の映画.comのインタビューで、パルー監督は『ラスト・タンゴ・イン・パリ』を二度と見られなくするような措置には賛成しないと説明した。
監督が提案したのは、問題の撮影経緯を観客に説明する機会を設けることや、『タンゴの後で』と同時上映することだった。
これは、映画を無条件に擁護する立場でも、作品そのものを封印する立場でもない。作品の価値を検討する際に、制作過程で起きた出来事も同時に伝えるという考え方である。
現在の映画制作に求められる3つの基準
今回の問題から、映画撮影における同意と倫理について、少なくとも次の3点を確認できる。
1. 事前説明と具体的な同意
性的な場面や身体的な接触を伴う撮影では、脚本の確認だけでなく、実際に行う動作や露出、接触の範囲について具体的な説明が必要になる。撮影当日に演出が変更される場合も、出演者が内容を理解し、改めて判断できる環境が求められる。
2. 立場の違いを考慮した撮影環境
監督と若手俳優では、経験や業界内の影響力に大きな差がある場合がある。出演者が断りにくい状況を作らないこと、代理人や制作スタッフに相談できる仕組みを整えることが重要だ。
3. インティマシー・コーディネーターなど第三者の関与
性的な場面の撮影では、出演者と制作側の間に立ち、事前の合意内容や撮影中の安全を確認する専門家の存在が役立つ。演出の自由を奪うためではなく、双方が納得した条件で創作を成立させるための仕組みである。
パルー監督が2025年のインタビューで示した考え方も、こうした方向性と重なる。裏切りや屈辱を与えなくても、監督と俳優が共同で感情や表現を生み出すことはできるというものだ。
【よくある質問】ラスト・タンゴ・イン・パリの問題シーンに関するFAQ
Q1:ラスト・タンゴ・イン・パリのバターシーンは実話ですか?
A1:映画の劇中に登場する場面ですが、撮影時に起きた出来事についても実際の関係者が証言しています。シュナイダーはバターを使用する演出を撮影直前に知らされたと説明し、ベルトルッチも2013年に事前に知らせなかったことを認めています。
Q2:マーロン・ブランドとマリア・シュナイダーは実際に性行為をしたのですか?
A2:実際の性交や挿入は行われていません。シュナイダー本人も、撮影された行為は実際の性行為ではなかったと説明しています。映像上の演技と、撮影時に彼女が感じた屈辱や精神的苦痛は区別する必要があります。
Q3:問題の場面は最初から脚本に書かれていたのですか?
A3:暴力的な展開の大枠と、実際に撮影されたバターシーンの具体的な動作は分けて考える必要があります。2025年にジェシカ・パルー監督が確認した撮影現場の脚本では、ズボンを下ろすことやバターを使用することなど、有名な場面の具体的な演出は記載されていなかったと説明されています。
Q4:ベルトルッチ監督は2013年に何を認めたのですか?
A4:マーロン・ブランドと撮影当日の朝にバターの使用を考案し、マリア・シュナイダーには知らせなかったと認めました。また、彼女の自然な屈辱や怒りを引き出したかったという趣旨の説明をしています。
Q5:2016年のバターシーン騒動はなぜ起きたのですか?
A5:2013年のベルトルッチの発言映像が2016年12月に再び注目されたためです。本人に演出を知らせなかったという発言が広まり、映画業界の権力関係や撮影時の同意をめぐって国際的な批判が起きました。
Q6:映画『タンゴの後で』は何を描いた作品ですか?
A6:ジェシカ・パルー監督による2024年製作のフランス映画です。マリア・シュナイダーの人生を中心に、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の撮影前後に起きた出来事や、彼女が受けた精神的な影響を描いています。日本では2025年9月5日に公開されました。
Q7:問題があった映画は上映すべきではないのでしょうか?
A7:一律に上映を禁止すべきだという考え方だけが答えではありません。パルー監督は作品の封印には反対し、撮影時の問題を説明したうえで上映することや、『タンゴの後で』との同時上映を提案しています。
まとめ:バターシーン問題の本質は撮影時の同意と権力関係にある
『ラスト・タンゴ・イン・パリ』のバターシーンをめぐる問題は、実際の性行為があったかどうかだけでは説明できない。
確認できる事実は、シュナイダーが19歳で撮影に参加し、バターを使用する具体的な演出を事前に知らされていなかったこと、ベルトルッチが2013年にその判断を認めたこと、そして2025年にジェシカ・パルー監督が撮影現場のオリジナル脚本を確認し、問題の場面の具体的な演出が記載されていなかったと説明したことだ。
一方、実際の性交や挿入が行われたという事実はなく、シュナイダー自身も撮影された行為は演技だったと語っている。この点を正しく理解することは、事件を過度にセンセーショナルに扱わないためにも重要である。
2025年公開の『タンゴの後で』は、半世紀以上にわたって映画史の陰に置かれてきたシュナイダーの視点を改めて提示した。彼女が何を感じ、何を伝えようとしていたのかを理解する手がかりになる作品だ。
【プロの結論】
この問題から学ぶべき最も大きな教訓は、芸術的な成果が出演者の尊厳や同意に優先することはないという点だ。
優れた映画を評価することと、その制作過程で起きた問題を検証することは両立できる。むしろ、作品の歴史的価値を正しく理解するためには、スクリーンに映らなかった撮影現場の事情にも目を向ける必要がある。
マリア・シュナイダーの証言、ベルトルッチの発言、2025年の脚本検証、そして『タンゴの後で』が提示した視点。これらを合わせて見ることで、バターシーン問題は単なる映画界のスキャンダルではなく、映画制作における同意と倫理を考える重要な事例として位置づけられる。
主な参照資料・報道
- 2007年のマリア・シュナイダー証言、2013年のベルトルッチ発言:ガーディアン紙、2016年12月報道。
- 2016年のベルトルッチ声明と脚本に関する説明:LAist。
- 2025年のオリジナル脚本確認とジェシカ・パルー監督の証言:アイリッシュ・タイムズ。
- 撮影現場の脚本資料に関する追加検証:ル・モンド、2025年1月。
- 『タンゴの後で』の日本公開情報:配給会社トランスフォーマー。
- 2025年のジェシカ・パルー監督インタビュー:映画.com。 (出典: ラスト タンゴ イン パリ 問題 シーン(Yahoo!ニュース))