革マル派と中核派の違いは?1963年の分裂理由から2026年の活動実態まで徹底解説

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革マル派と中核派の違いは?1963年の分裂理由から2026年の活動実態まで徹底解説
革マル派と中核派の違いは?1963年の分裂理由から2026年の活動実態まで徹底解説
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革マル派と中核派は、どちらも日本の新左翼運動から生まれた革命的共産主義を掲げる政治組織です。両者は同じ革命運動の流れをくみながら、1963年に組織が分裂。その後、理論の継承、党組織の構築、労働運動や学生運動への取り組み方をめぐって、それぞれ異なる道を歩みました。

両派の違いを理解するには、革マル派の創始者である黒田寛一と、中核派の形成を主導した本多延嘉の対立を押さえる必要があります。さらに、機関紙「解放」「前進」、全学連をめぐる学生運動、JR総連・JR東労組との関係、1970年代に深刻化した内ゲバの歴史も重要なポイントです。

2026年10月時点では、令和8年版警察白書や公安調査庁の公表資料から、両派の活動が現在も続いていることを確認できます。歴史的な対立だけでなく、2025年の活動実績と2026年の集会・抗議行動まで整理します。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】

  • 分裂の理由:1963年、黒田寛一と本多延嘉の間で党組織の建設方法や労働運動の戦術をめぐる路線対立が表面化した。
  • 組織の違い:革マル派は黒田理論の継承と組織建設を重視し、中核派は階級的労働運動や反戦闘争を軸に活動している。
  • 2026年の現状:両派とも活動を継続しており、警察庁と公安調査庁の資料には2025年の活動や2026年の集会が記録されている。

【結論】革マル派と中核派の違いは理論・組織方針・運動の重点にある

革マル派と中核派の最大の違いは、同じ革命運動の系譜に属しながら、革命を実現するための組織づくりや労働者・学生との関係について異なる方針を採用したことです。

両派は単純に右派・左派に分かれているわけではありません。どちらも既存の政治体制を批判し、マルクス主義を理論的基盤とする新左翼系の組織です。

特徴を大まかに整理すると、次のようになります。

  • 革マル派:黒田寛一の理論を重視し、独自の党組織の建設と労働運動への組織的な関与を重視する。
  • 中核派:本多延嘉が主導した路線を継承し、階級的労働運動、大衆運動、学生運動、反戦闘争などを重視する。

革マル派とは何か

革マル派の正式名称は、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派です。

1950年代に形成された革命的共産主義者同盟(革共同)の流れをくみ、1963年の分裂を経て成立しました。創始者として知られる人物が黒田寛一です。

革マル派の特徴は、黒田が提唱した理論を継承しながら、独自の組織を建設し、労働運動を通じて組織を維持・拡大する方針にあります。

警察庁の令和8年版警察白書によれば、2025年も黒田寛一前議長の理論継承に取り組んでいました。また、機関紙を通じた理論学習も継続しています。

中核派とは何か

中核派の正式名称は、革命的共産主義者同盟全国委員会です。

革マル派と同じ革共同全国委員会を母体とし、1963年の分裂後、本多延嘉らを中心とする勢力が形成しました。

中核派は、労働者階級を基盤とした革命運動を掲げ、労働運動や学生運動、大衆運動を重視してきました。現在も反戦闘争を中心的な運動課題の一つに位置付けています。

2025年には第34回全国委員会総会と第35回全国委員会総会を開催し、反戦闘争を中心とする活動方針を確認したと警察庁が公表しています。

革マル派中核派違いの当時の様子・関連報道写真
【検証資料 1】革マル派中核派違いの当時の様子・関連報道写真(出典:Yahoo!ニュース)

【1963年の分裂理由】黒田寛一と本多延嘉はなぜ対立したのか

革マル派と中核派の関係を理解するうえで欠かせないのが、1963年に起きた革共同の分裂です。

両者は最初から別々に存在していた組織ではありません。共通の組織基盤を持ちながら、革命運動の進め方をめぐる意見の違いが拡大し、最終的に別々の組織へと分かれました。

分裂以前の共通のルーツ

源流は1957年に結成された日本トロツキスト連盟にさかのぼります。同組織はその後、革命的共産主義者同盟へと発展しました。

しかし、組織内部では指導方針や理論をめぐる対立が続きます。1959年には革共同全国委員会が形成され、その後も内部の路線対立が解消されないまま、1963年の第三次分裂へとつながりました。

この過程で中心的な役割を果たしたのが、議長の黒田寛一と書記長の本多延嘉です。

黒田寛一と本多延嘉の対立点

両者の対立は、単なる個人的な権力争いではありませんでした。革命を実現するために、どのような党組織をつくり、労働者の運動にどう関わるべきかという、組織論と運動論の違いが背景にありました。

主な争点は次の2点です。

1.党組織をどのように建設するか

黒田側は、労働者組織や産業別の組織を重視する立場を取りました。一方、本多側は、地域を基盤とする地区党組織を中心に党を再編成し、労働者組織もその方針と連動させる考え方を主張しました。

2.他党派が関わる労働運動にどう対応するか

黒田側は、他党派が指導する労働運動に対して独自の党派的立場を明確にすることを重視しました。本多側は、他党派が関わる運動であっても、戦闘的な労働運動との共同を進め、その中で自派の主張を広げる方向を重視しました。

つまり、分裂の核心は、革命理論の違いだけではなく、組織をどのように構築し、現実の社会運動にどう結び付けるかという戦略の違いにありました。

1963年、革マル派と中核派が分かれる

1963年、黒田側と本多側の対立は組織分裂へと発展しました。黒田側が革マル派を形成し、本多側が中核派として組織を継承することになります。

この分裂によって、従来は共通の組織に属していた活動家や学生組織、労働者組織も、それぞれの路線に沿って分かれていきました。

その後の両派の対立は、学生運動や労働運動の主導権争いにも影響を与え、1970年代には深刻な内ゲバへと発展していきます。

【徹底比較】革マル派と中核派の正式名称・人物・機関紙・活動方針

両派を比較すると、共通する思想的背景と、分裂後に形成された組織的な特徴が見えてきます。

以下は、警察庁の公表資料、歴史資料、各組織の機関紙に関する資料を基にした比較です。

比較項目革マル派中核派
正式名称日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派革命的共産主義者同盟全国委員会
成立時期1963年1963年
中心人物黒田寛一本多延嘉
思想的背景マルクス主義革命思想、黒田理論の継承マルクス主義革命思想、階級的労働運動の重視
組織方針独自の理論と組織の建設を重視労働者組織や大衆運動を軸とした組織拡大を重視
主な運動の重点労働運動、反戦運動、大衆運動階級的労働運動、反戦闘争、学生運動
機関紙解放前進
学生運動革マル派系全学連など中核派系全学連など
歴史的な対立中核派などとの内ゲバが発生革マル派などとの内ゲバが発生
2025年の主な動向黒田理論の継承、労働運動への取り組み反戦闘争を中心とする活動、組織内部の対立

思想の違いは「理論派対行動派」だけでは説明できない

両派の違いを説明するとき、「革マル派は理論派、中核派は行動派」という表現が使われることがあります。

これは歴史的な特徴を簡潔に説明する際の一つの見方ですが、厳密には不十分です。

革マル派にも労働運動や反戦運動、大衆運動があり、中核派にも理論研究や組織論があります。両者とも理論と実践を結び付けようとする革命組織であり、活動内容を一つの言葉だけで区別することはできません。

より正確なのは、革マル派は黒田理論に基づく組織建設を重視し、中核派は階級的労働運動や反戦闘争を軸に大衆運動を展開しているという整理です。

機関紙「解放」と「前進」の違い

両派を見分ける際に参考になるのが、それぞれが発行している機関紙です。

  • 「解放」:革マル派の機関紙。黒田理論の継承、労働運動、政治情勢などを扱う。
  • 「前進」:中核派の機関紙。反戦闘争、労働運動、学生運動、政治課題などを扱う。

東京大学社会科学研究所の社会・労働運動資料の所蔵情報にも、革マル派の「解放」と中核派の「前進」が、それぞれ別組織の機関紙として記録されています。

なお、機関紙は各組織自身の主張を知るための一次資料です。そこに掲載される歴史認識や相手組織への批判は、警察白書や裁判記録などの外部資料と区別して読む必要があります。

革マル派中核派違いの活動歴およびメディア掲載記録
【検証資料 2】革マル派中核派違いの活動歴およびメディア掲載記録(出典:Yahoo!ニュース)

【全学連・労働運動】学生運動とJR総連をめぐる両派の関係

革マル派と中核派の対立は、組織内部の理論論争にとどまりませんでした。1960年代以降の大学自治会や労働組合にも影響を及ぼしています。

全学連と新左翼の学生運動

全学連とは、全日本学生自治会総連合の略称です。1948年に結成された学生運動の全国組織で、当初は全国の大学自治会をつなぐ役割を担っていました。

しかし、1950年代末から1960年代にかけて、学生運動の内部では政治路線や組織方針をめぐる対立が相次ぎます。

革マル派と中核派の分裂も、この流れの中で起きました。その結果、全学連も複数の党派系組織に分かれ、各派が大学自治会や学生運動への影響力を競うようになりました。

1960年代後半には、大学紛争や全共闘運動が全国的に広がります。東大紛争や日大紛争などでは、学生自治、大学運営、学費、大学当局への抗議など、さまざまな問題が争点になりました。

ただし、全共闘と全学連は同じ組織ではありません。全共闘は各大学で形成された闘争組織であり、特定の党派に所属しない学生も参加していました。

文部科学省の学生運動に関する歴史資料や国立歴史民俗博物館の全共闘関連展示からも、当時の学生運動が複数の組織と思想的潮流によって構成されていたことが分かります。

JR総連・JR東労組と革マル派の関係

革マル派について調べると、JR総連とJR東労組との関係が頻繁に取り上げられます。

JR総連は全日本鉄道労働組合総連合会、JR東労組は東日本旅客鉄道労働組合を指します。いずれも鉄道労働者に関係する労働組織ですが、同一の団体ではありません。

この問題について、政府は国会答弁や警察白書で、革マル派活動家が両組織内で影響力を行使し得る立場に相当浸透しているとみられる、との認識を示してきました。

2026年版警察白書でも、2025年6月のJR総連・JR東労組の定期大会において、革マル派設立時の副議長だった松嵜明元JR東労組会長が提唱した労働運動理論に基づき、引き続き組合活動を進める方針が決定されたと記載されています。

ここで注意したいのは、政府が指摘しているのは組織内における革マル派活動家の影響力についてであり、JR総連やJR東労組の組合員全員が革マル派に所属しているという意味ではないことです。

労働組合の組織的な立場と、そこに所属する個々の活動家の政治的立場は、分けて理解する必要があります。

中核派と労働運動・学生運動

中核派も労働運動を重要な活動基盤としてきました。特に国鉄闘争や動労をめぐる運動は、同派の歴史を理解するうえで重要です。

警察庁の過去の白書では、中核派が階級的労働運動路線を推進し、労働組合や学生組織の拡大を目指してきたことが記録されています。

2025年の活動についても、警察庁は中核派が反戦闘争を中心に各種運動を継続したと報告しています。

このように、革マル派と中核派はともに労働運動に関わってきましたが、組織的なつながりや運動の進め方には違いがあります。

【内ゲバの歴史】革マル派と中核派の抗争はなぜ激化したのか

両派の歴史を語るうえで避けられないのが、内ゲバです。

内ゲバとは、内部ゲバルトの略称で、もともとは左翼運動内部の暴力的な抗争を意味します。特に革マル派と中核派の対立では、組織的な暴力事件や殺人事件が発生し、社会的にも大きな問題となりました。

1970年代に深刻化した党派間抗争

分裂直後から両派は対立していましたが、1970年代に入ると抗争はさらに激しくなります。

その背景には、大学内での主導権争い、学生組織や労働組織をめぐる対立、相手派閥への敵対意識の強まりがありました。

1972年11月には早稲田大学の学生が革マル派によるリンチで死亡した事件が発生しました。また、1973年9月には神奈川大学で革マル派の活動家2人が殺害される事件が起きています。

こうした事件を契機として、両派の対立はさらに深刻化しました。

警察白書に記録された内ゲバの実態

当時の抗争の深刻さは、警察庁の昭和49年版・昭和50年版警察白書から確認できます。

昭和49年版警察白書によれば、1973年に警察が把握した内ゲバ事件は238件に達し、死傷者は575人でした。このうち死亡者は2人です。

さらに昭和50年版警察白書によると、1974年には内ゲバ事件が286件発生し、死者11人、負傷者607人という深刻な被害が記録されています。

これらの数字は、単なる政治的な意見対立では済まされない、組織間暴力の実態を示しています。

また、抗争の影響は活動家だけにとどまりませんでした。大学、駅、公共空間などで事件が発生し、一般市民や交通機関にも被害が及びました。

内ゲバは両派の組織方針にも影響した

内ゲバの激化は、両派の活動に大きな影響を与えました。

敵対組織を排除することが運動の中心的な課題の一つとなり、政治的な主張や労働者・学生への働きかけよりも、党派間の抗争が前面に出る時期が生まれました。

警察庁の昭和63年版警察白書は、1970年以降に内ゲバが増加した背景として、70年安保闘争という共通目標を失ったことや、暴力抗争の激化を挙げています。

ここから読み取れるのは、同じ革命運動を出発点とした組織が、共通の目標を失い、内部の路線対立を解消できなくなった結果、深刻な暴力に至ったという歴史です。

革マル派中核派違いに関する近況・インタビュー報道記録
【検証資料 3】革マル派中核派違いに関する近況・インタビュー報道記録(出典:Yahoo!ニュース)

【2026年最新】警察白書・公安調査庁が公表した両派の活動実態

2026年10月時点で、革マル派と中核派は過去の歴史上だけに存在する組織ではありません。両派とも活動を続けており、警察庁と公安調査庁が公表する資料から現在の動向を確認できます。

令和8年版警察白書が記録した2025年の動き

2026年に公表された令和8年版警察白書は、2025年中の極左暴力集団の動向を取り上げています。

同白書によると、2025年も極左暴力集団は反戦・反基地運動や反原発運動などに取り組み、組織の維持・拡大を図りました。

革マル派の動向

  • 創始者である黒田寛一前議長の理論の継承を継続。
  • JR総連とJR東労組が、松嵜明元JR東労組会長の労働運動理論に基づく活動方針を維持。
  • 労働運動や反戦運動などを通じた組織活動を継続。

中核派の動向

  • 2025年3月、第34回全国委員会総会を開催。
  • 2025年9月、第35回全国委員会総会を開催。
  • 反戦闘争を中心に各種運動を継続する方針を確認。
  • 幹部活動家の除名をきっかけに、学生組織を含む内部対立が表面化。

特に中核派では、2025年9月の幹部活動家の除名をめぐり、除名された側と中央側の対立が深刻化しました。警察庁は、双方がSNSなどでそれぞれの主張を発信していることも記録しています。

公安調査庁の2026年公表資料に見る活動

公安調査庁が公表した2026年版「内外情勢の回顧と展望」でも、2025年の過激派の活動が取り上げられています。

同資料では、戦後80年という節目や国際情勢を背景に、革マル派と中核派が反戦運動を展開したことが記録されています。

両派はロシアによるウクライナ侵略や中東情勢などを取り上げ、全国各地で集会やデモを実施しました。ただし、同じ反戦運動でも、掲げる政治的主張や批判対象には違いがあります。

2026年の実際の集会・活動記録

公安調査庁の「最近の内外情勢」には、2026年の具体的な活動も掲載されています。

  • 2026年2月1日:革マル派が千葉県で「2・1労働者怒りの総決起集会」を開催。
  • 2026年2月:ロシアによるウクライナ侵略から4年となる時期に、革マル派と中核派がそれぞれ侵略反対を訴える集会・デモを実施。
  • 2026年8月2日:革マル派が北海道、東京、石川、愛知、大阪、福岡、沖縄で「第64回国際反戦集会」を開催。

この記録から分かるのは、2026年に入っても両派の活動が続いており、労働運動や反戦運動が重要な活動分野になっているということです。

2026年の勢力や活動規模はどう判断すべきか

両派の現在の勢力を知りたい読者も多いはずです。

ただし、令和8年版警察白書の該当箇所には、2026年現在の両派の構成員数を比較できる最新の統一的な数値は掲載されていません。

過去の警察資料には構成員数の推計が掲載されたものもありますが、それらをそのまま2026年の勢力として扱うことはできません。

現在の活動実態を把握するには、単純な人数の推計よりも、全国委員会や集会の開催状況、機関紙の発行、労働運動や学生運動への取り組み、組織内の分裂などを複合的に見る必要があります。

また、警察白書は警察の治安対策上の評価を示す公的資料であり、公安調査庁の資料も同庁による情勢分析です。各組織自身が公表する主張や運動方針とは、情報の性質を区別して読むことが大切です。

【よくある誤解】革マル派と中核派を理解するための判断基準

両派については、歴史的な対立が強烈な印象を残しているため、現在の活動や思想について誤解が生じることもあります。

誤解1:革マル派と中核派は最初から別々の組織だった

これは誤りです。両派は共通の革共同の流れから生まれ、1963年の分裂によって別々の組織になりました。黒田寛一と本多延嘉の対立を理解することが、両派の歴史を知る出発点です。

誤解2:現在も1970年代と同じ規模の内ゲバが続いている

1970年代の内ゲバは、警察白書にも多数の死傷者を伴う事件として記録されています。一方、2026年の公表資料では、両派の活動として理論継承、集会、労働運動、反戦運動、組織内部の対立などが取り上げられています。

過去の抗争の歴史と、現在確認されている活動を混同しないことが重要です。

誤解3:革マル派と関係が指摘される労働組合の組合員は全員活動家である

これも正確ではありません。政府資料が指摘しているのは、労働組合内部における革マル派活動家の浸透や影響力についてです。組合員全員の政治的立場や所属を示すものではありません。

情報を見極めるための3つの基準

  • 組織の正式名称を確認する:略称だけでは別の党派や分派と混同する可能性がある。
  • 資料の発行主体を確認する:警察白書、公安調査庁の分析、各組織の機関紙では、それぞれ記述の目的が異なる。
  • 発表年と対象期間を確認する:2026年版の資料でも、記載されている活動が2025年の出来事である場合がある。

【FAQ】革マル派と中核派の違いに関するよくある質問

Q1:革マル派と中核派はどちらが先にできたのですか?
A1:両派は1963年の革共同の分裂によって成立した組織です。どちらか一方が長期間先に独立して存在していたという関係ではありません。

Q2:革マル派と中核派の分裂理由は何ですか?
A2:黒田寛一と本多延嘉の間で、党組織の建設方法や労働運動への関わり方をめぐる路線対立が深まったためです。

Q3:革マル派と中核派の正式名称は何ですか?
A3:革マル派は「日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派」、中核派は「革命的共産主義者同盟全国委員会」です。

Q4:機関紙は何が違いますか?
A4:革マル派は「解放」、中核派は「前進」を発行しています。どちらも各組織の政治的主張や運動方針を知るための資料です。

Q5:革マル派と中核派は現在も活動していますか?
A5:はい。2026年の公安調査庁の月次資料には、両派による集会や抗議行動が記録されています。また、令和8年版警察白書にも2025年の活動状況が掲載されています。

Q6:JR総連やJR東労組は革マル派そのものなのですか?
A6:同一の組織ではありません。政府は両労組内に革マル派活動家が相当浸透しているとみられるとの認識を示していますが、組合員全員が革マル派に所属しているという意味ではありません。

Q7:全学連は革マル派や中核派と同じ組織ですか?
A7:全学連は全日本学生自治会総連合の略称で、学生自治会の全国組織として結成されました。歴史的に複数の党派系組織に分裂しており、革マル派系や中核派系の全学連が存在します。

まとめ:革マル派と中核派の違いは1963年の分裂と現在の活動に表れる

革マル派と中核派は、共通の新左翼運動から生まれた組織でありながら、1963年の分裂を境に異なる組織方針を発展させてきました。

革マル派は黒田寛一の理論を継承し、組織建設や労働運動を重視してきました。一方、中核派は本多延嘉が主導した路線を引き継ぎ、階級的労働運動、学生運動、大衆運動、反戦闘争などに重点を置いています。

両派の対立は1970年代に深刻な内ゲバへと発展し、多数の死傷者を生みました。この歴史は、日本の新左翼運動や戦後の学生運動を理解するうえで重要な出来事です。

2026年現在も、両派はそれぞれの組織を維持し、集会や労働運動、反戦運動などを継続しています。令和8年版警察白書や公安調査庁の公表資料からは、黒田理論の継承、中核派の反戦闘争、組織内部の対立など、現在の特徴も読み取れます。

両派を正確に理解するためのポイントは、単に「どちらが過激か」を比較することではありません。1963年の分裂理由、人物の関係、組織方針、学生・労働運動への関わり方、そして現在の活動を時系列で整理することです。

歴史的な出来事と最新の公的資料を照らし合わせることで、革マル派と中核派の共通点と相違点を、より立体的に理解できます。

主な参照資料(公的資料・歴史資料)

- 2026年版警察庁「令和8年警察白書」第6章・極左暴力集団の動向と対策。
- 公安調査庁「内外情勢の回顧と展望(令和8年版)」。
- 公安調査庁「最近の内外情勢」2026年2月・8月。
- 警察庁「昭和49年・昭和50年警察白書」。
- 文部科学省の学生運動史資料、東京大学社会科学研究所の社会・労働運動資料。
- 参議院・政府答弁書「JR総連・JR東労組などへの革マル派浸透に関する質問に対する答弁書」。 (出典: 革マル派 中核 派 違い(Yahoo!ニュース))

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