革マル派と中核派の違いは?1963年の分裂から2026年の現在まで徹底比較
革マル派と中核派は、どちらも日本の新左翼運動から生まれた革命的共産主義を掲げる政治党派です。両者の最大の違いは、単なる思想の違いではなく、革命を実現するための組織づくり、労働運動への関わり方、他党派との共闘に対する考え方にあります。
両派は、もともと日本革命的共産主義者同盟(革共同)という同じ組織を母体としていました。しかし、1963年、黒田寛一と本多延嘉を中心とする指導部の路線対立によって分裂。その後、激しい内ゲバ(内部抗争)に発展し、日本の学生運動・労働運動史に大きな影響を残しました。2026年3月に警察庁が公表した「焦点」第296号にも、両派の2025年の活動や組織内部の動向が記録されています。
この記事の重要ポイントまとめ
- 最大の違い: 革マル派は黒田寛一の理論と組織建設を重視し、中核派は大衆運動や労働運動を通じた組織拡大を重視してきた。
- 分裂の原因: 1963年、黒田寛一と本多延嘉の間で、党組織のあり方や労働運動の戦術をめぐる対立が深刻化した。
- 2026年の実態: 両派とも活動を継続している。警察庁の最新資料では、労働運動、反戦運動、学生運動、組織内対立などが取り上げられている。
【まず結論】革マル派と中核派の違いは思想・組織・活動方針にある
革マル派と中核派を簡単に区別するなら、革マル派は理論と組織の自立性を重視する傾向があり、中核派は労働者や学生を巻き込んだ大衆運動を重視する傾向があります。
両派とも革命的共産主義を掲げる新左翼の党派であり、共通する思想的背景を持っています。しかし、革命運動をどのように組織し、どのような戦術で社会に働きかけるかという点で、考え方が分かれました。
それぞれの正式名称は次のとおりです。
- 革マル派: 日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派
- 中核派: 革命的共産主義者同盟全国委員会
両派の母体は、1957年に結成された日本トロツキスト連盟を源流とする革命的共産主義運動です。その後、組織内の分裂を経て、1963年に現在につながる二つの党派が成立しました。
ここで注意したいのは、両派が最初からまったく異なる思想を持っていたわけではないことです。
共通の革命理論を出発点としながら、党の指導体制、組織建設、労働運動との関係、他党派との協力のあり方をめぐって対立したことが、分裂の根本にあります。
【1963年の分裂】黒田寛一と本多延嘉はなぜ袂を分かったのか
革マル派と中核派の違いを理解するうえで欠かせないのが、1963年2月の革共同第三次分裂です。
分裂の中心人物は、革共同全国委員会の議長だった黒田寛一と、書記長だった本多延嘉でした。
黒田寛一とはどのような人物か
ヘーゲルやマルクスの思想研究を基礎に、反帝国主義・反スターリン主義を掲げる革命理論を構築しました。
1957年の日本革命的共産主義者同盟の結成に参加し、1959年には革共同全国委員会の結成に関わります。
1963年の分裂では黒田を中心とするグループが革マル派を結成しました。黒田は2006年6月に死去しています。
革マル派は、その後も黒田の理論を組織の思想的基盤として継承してきました。警察庁の2026年3月の資料でも、黒田の理論の継承と組織建設が同派の活動方針として紹介されています。
本多延嘉とはどのような人物か
早稲田大学で学生運動に関わり、黒田寛一とともに革共同の形成に参加しました。
当初は黒田の側近として活動し、革共同全国委員会の書記長を務めていました。しかし、組織運営や労働運動の方針をめぐって黒田と対立し、1963年の分裂後は中核派の中心人物となります。
本多は中核派の理論形成と組織運営に深く関わりましたが、1975年3月14日、埼玉県川口市内のアパートで殺害されました。 この事件は両派の抗争を象徴する重大事件として知られています。
分裂を引き起こした3つの対立
1963年の分裂は、単純な個人的な仲違いではありませんでした。
主な対立点は次の3つです。
1.革命組織をどう建設するか
黒田側は、産業別の労働者組織を重視し、理論的な一貫性を維持した組織建設を重視しました。
一方、本多側は、地域ごとの党組織を軸に組織を再編し、労働者を組織的に獲得していく考え方を重視しました。
2.他党派との共同行動をどう評価するか
黒田側は、他党派の主導する運動に安易に参加することを警戒し、理論的な対立を明確にする姿勢を重視しました。
本多側は、他党派との共同行動にも参加し、その運動の中で自派の影響力を拡大することを重視しました。
3.理論と実践のどちらを組織活動の中心に置くか
革マル派につながる黒田側は、理論的な主体性と組織の独自性を重視しました。
中核派につながる本多側は、労働運動や学生運動の現場で実際に運動を拡大することを重視しました。
このような路線の違いが積み重なり、1963年2月に組織が分裂しました。分裂過程の歴史的な整理については、ブリタニカ国際大百科事典や当時の革共同分裂を扱った記録にも確認できます。
【思想・組織・機関紙】革マル派と中核派の違いを一覧で比較
両派の違いを把握するには、思想だけでなく、組織の運営方法や機関紙、労働運動への関わり方も比較する必要があります。
革マル派と中核派の比較表
革マル派の機関紙「解放」の特徴
「解放」は、革マル派の機関紙です。
同派の理論や政治的主張、労働運動に関する見解、組織建設に関する方針などを発信する媒体として位置付けられています。
2026年3月に公表された警察庁資料では、2025年も黒田寛一の理論を継承し、労働運動や大衆運動を通じた組織の維持・拡大を図ったと説明されています。
また、連合や加盟労組の指導部を批判するビラをメーデー会場周辺で配布し、同調者の獲得を目指した活動も紹介されています。
中核派の機関紙「前進」の特徴
「前進」は、中核派の機関紙です。
労働運動、反戦闘争、学生運動、政治的主張などを掲載し、組織の活動方針を発信する役割を担っています。
中核派は2025年も「階級的労働運動路線」を掲げ、国鉄闘争を中心とする活動を続けました。
機関紙は紙面による情報発信だけでなく、若者への勧誘活動にも利用されています。警察庁の2026年3月資料では、カラー版の号外やSNSを活用した活動も紹介されています。
このように、両派の機関紙は単なるニュース媒体ではなく、それぞれの思想や組織方針を伝える重要な媒体です。
【内ゲバの歴史】革マル派と中核派の抗争はなぜ激化したのか
革マル派と中核派の関係を語るうえで避けられないのが、内ゲバです。
内ゲバとは「内部ゲバルト」の略称で、政治的な立場や組織方針をめぐり、同じ左翼運動内部の党派やグループ同士が暴力的に衝突することを指します。
1970年代に激化した両派の抗争
1963年の分裂後、両派の対立は次第に激しくなりました。
1970年には両派の抗争で死者が発生し、その後、報復を繰り返す形で暴力事件が相次ぎます。
1975年には中核派の書記長だった本多延嘉が殺害されました。
この事件について、当時の裁判記録には、1975年3月14日に埼玉県川口市のアパートで本多が殺害された経緯や、事件後の捜査状況が記されています。
警察白書が記録した内ゲバの被害
特に深刻だったのが1975年の状況です。
警察庁の昭和51年版警察白書によると、1975年に把握された内ゲバ事件は全国で229件に達しました。
そのうち、極左暴力集団同士の抗争は184件で、中核派と革マル派の抗争だけで162件を占めています。
さらに、両派の抗争による殺人事件は12件、死者は16人と記録されています。
1975年の内ゲバ事件に関する警察白書の記録
この数字から分かるのは、両派の対立が単なる思想論争にとどまらず、組織的な暴力抗争へと発展していたことです。
また、こうした内ゲバは、党派内部の論理だけでなく、学生運動の主導権争いや労働組合への影響力をめぐる対立とも結び付いていました。
【労働運動・国鉄闘争・全学連】両派は社会にどう関わってきたのか
両派の違いは、学生運動と労働運動への取り組み方にも表れています。
中核派の国鉄闘争とは
中核派を理解するうえで重要なのが国鉄闘争です。
国鉄闘争は、国鉄分割・民営化、労働者の雇用問題、組合活動のあり方などをめぐる運動です。
中核派は、労働者の組織化を革命運動の重要な基盤と考え、国鉄問題を中心的な政治課題として取り上げてきました。
警察庁の「焦点」第296号によれば、2025年も中核派は国鉄闘争を中心とする反対行動を展開し、11月には東京都内で「11・2全国労働者総決起集会」を開催しています。
このことからも、国鉄闘争が過去の運動史にとどまらず、2025年の活動方針にも位置付けられていることが分かります。
革マル派の労働運動とJR総連・JR東労組
革マル派は、基幹産業の労働組合への影響力拡大を重視してきました。
警察庁は、全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)と東日本旅客鉄道労働組合(JR東労組)について、革マル派が相当浸透しているとみられると説明しています。
ただし、これは警察庁による組織的な関係についての評価であり、両組合の組合員全員が革マル派に所属しているという意味ではありません。
2025年6月には両組合が定期大会を開催し、故松崎明元JR東労組会長が提唱した労働運動理論に基づいて組合活動を進める方針を決定したと、警察庁は報告しています。
全学連とは何か?革マル派と中核派の関係
全学連とは、全日本学生自治会総連合の略称です。
1948年9月、全国145校の学生自治会によって結成された学生運動の全国組織で、1950~1960年代の学生運動の中心的存在でした。
しかし、1960年代以降、政治的な路線対立や組織内抗争によって分裂が進み、現在は複数の全学連組織が存在しています。
革マル派と中核派も、それぞれ学生組織を持ってきました。
中核派については、警察庁が中核派系全学連の活動を継続的に取り上げています。2025年には大学構内での活動や抗議行動をめぐる逮捕事例も記録されています。
ここで重要なのは、全学連という名称だけで、特定の党派に所属していると判断できないことです。組織の系統や運営主体を確認する必要があります。
【2026年最新】警察庁「焦点」第296号が示す革マル派と中核派の現在
2026年の両派の動向を把握するうえで、重要な資料が警察庁の「焦点」第296号です。
正式には「令和7年の治安の回顧と展望」で、2026年3月6日に公表されました。
同資料の第2章「公安情勢」には、2025年の革マル派と中核派の活動、組織内の問題、違法行為をめぐる警察の対応などが記載されています。
革マル派の2025年の活動
警察庁の報告によると、革マル派は2025年も黒田寛一の理論を継承し、労働運動や大衆運動を通じた組織の維持・拡大に取り組みました。
主な活動は次のとおりです。
- 連合や加盟労組の指導部に対する批判活動
- メーデー会場周辺でのビラ配布
- JR総連やJR東労組をめぐる労働運動
- 政権打倒や反戦を訴える集会・デモ
- トランプ米大統領の2025年10月の来日に際した抗議行動
- ロシアによるウクライナ侵略やイスラエルをめぐる情勢に対する抗議活動
- 沖縄の辺野古移設に対する抗議行動への参加
組織の維持だけでなく、社会的な政治課題を通じて同調者を獲得しようとする姿勢が確認できます。
中核派の2025年の活動
中核派も2025年、従来の「階級的労働運動路線」を維持しました。
主な活動は次のとおりです。
- 国鉄闘争を中心とした労働運動
- 2025年11月の全国労働者総決起集会
- イスラエル大使館に対する抗議行動
- 広島・長崎での反戦・反核活動
- 若者や学生の獲得を目的とするSNSの活用
- 渋谷暴動事件で有罪判決を受け、控訴中だった大坂正明をめぐる集会・デモ
特に注目されるのは、2025年9月の第35回全国委員会総会をめぐる組織内対立です。
警察庁の資料によれば、中核派中央は女性差別・性暴力などを理由として中央学生組織委員会議長を務める幹部活動家を除名しました。
これに対し、除名された幹部とその同調者は、組織内で女性差別や性暴力、暴力的な襲撃などがあったと主張し、中央指導部に反発しました。
両者は機関紙やSNSで互いに批判し、それぞれ独自の集会やデモを開催するなど、対立が継続したと報告されています。
これは、かつての革共同分裂とは異なる、2025年に表面化した中核派内部の新たな分裂問題です。双方の主張は対立しており、警察庁の資料はそれぞれの主張と活動状況を記録しています。
2025年の中核派関係者の逮捕事例
警察庁の第296号には、中核派系活動家をめぐる複数の検挙事例も記載されています。
| 時期 | 警察庁資料に記載された事例 |
|---|---|
| 2025年6月 | 沖縄県で、天皇皇后両陛下の行幸啓に際した抗議行動中、警察官への暴行を理由に中核派系全学連活動家を逮捕 |
| 2025年6月 | 東京都内のデモ警備中、警察官への暴行を理由に中核派系活動家ら計2人を逮捕 |
| 2025年7月 | ビラをめぐるトラブルで暴力行為等処罰法違反の疑いにより中核派系全学連活動家2人を逮捕 |
| 2025年8月 | 広島の平和記念式典に伴う抗議行動で、警備員への暴行を理由に中核派活動家2人を逮捕 |
| 2025年10月 | 京都大学での建物への立入りをめぐる暴行事件で、中核派系全学連活動家を逮捕 |
これらは警察庁資料に記載された逮捕事例であり、逮捕されたこと自体を有罪判決と混同してはいけません。
革マル派と中核派の勢力はどれくらいなのか
2026年3月に警察庁が公開した別資料「極左暴力集団の現状等」には、両派の勢力についての推計も掲載されています。
警察庁による勢力推計
革マル派
中核派
極左暴力集団全体の推計勢力
この数字は2026年3月に公表された資料に掲載されていますが、推計の基準日は2024年6月です。したがって、2026年10月現在の実際の構成員数として扱うことはできません。
新左翼と極左暴力集団は同じ意味ではない
ここも誤解されやすいポイントです。
「新左翼」は、戦後の日本で既成左翼とは異なる路線を掲げて登場した政治運動や党派を広く指す歴史的・政治的な呼称です。
一方、「極左暴力集団」は、警察庁が治安資料で使用する呼称です。
警察庁の2026年3月の資料では、社会主義革命・共産主義革命を目指し、暴力によって民主主義社会を破壊することを企てる集団として説明されています。
つまり、両者は同義ではありません。新左翼という広い歴史的カテゴリーに属することと、警察庁が極左暴力集団として扱うことは、区別して理解する必要があります。
また、特定の政策に反対するデモや労働運動に参加する人が、すべて革マル派や中核派に所属しているわけでもありません。
【よくある質問】革マル派と中核派の違いに関するFAQ
Q1:革マル派と中核派はもともと同じ組織だったのですか?
A1:はい。どちらも日本革命的共産主義者同盟全国委員会(革共同)を母体としています。1963年に黒田寛一と本多延嘉の路線対立によって分裂しました。
Q2:革マル派と中核派はどちらが過激なのですか?
A2:一概に単純比較することはできません。歴史的には両派とも暴力的な内ゲバや違法行為に関与した記録があります。警察庁の資料では、中核派について過去のテロ・ゲリラ事件、革マル派について違法な調査活動などが記載されています。
Q3:革マル派の機関紙は何ですか?
A3:革マル派の機関紙は「解放」です。黒田寛一の理論や同派の政治的主張、組織活動などを発信しています。
Q4:中核派の機関紙は何ですか?
A4:中核派の機関紙は「前進」です。労働運動、国鉄闘争、反戦運動、学生運動などの活動方針や主張を発信しています。
Q5:革マル派と中核派は2026年も活動しているのですか?
A5:はい。警察庁の2026年3月公表資料では、2025年にも両派が労働運動や大衆運動、反戦運動などに取り組んでいたことが報告されています。
Q6:全学連は中核派の組織なのですか?
A6:全学連は本来、1948年に結成された学生自治会の全国組織です。その後、政治的対立によって複数の組織に分裂しました。中核派系の全学連は存在しますが、全学連全体が中核派というわけではありません。
まとめ:革マル派と中核派の違いを理解するための判断基準
革マル派と中核派は、同じ革命的共産主義運動から誕生しながら、組織建設や労働運動の戦術をめぐる対立によって1963年に分裂しました。
両派の違いを整理すると、次のようになります。
- 革マル派: 黒田寛一の理論を継承し、思想的な一貫性や組織建設、基幹産業の労働組合への影響力を重視する。
- 中核派: 本多延嘉の路線を出発点とし、労働運動、大衆運動、学生運動を通じた組織拡大を重視する。
- 歴史的な対立: 1970年代には内ゲバが激化し、多数の死傷者を出した。
- 現在の状況: 2025年も両派は活動を継続し、労働運動や反戦運動、学生運動などに関わっている。
特に注目したいのは、2026年の警察庁「焦点」第296号が示す両派の変化です。
革マル派は黒田理論の継承と労働運動への関与を続け、中核派は国鉄闘争や学生運動を展開する一方、内部の組織対立も表面化しています。
両派を理解する際には、1963年の分裂だけでなく、その後の組織運営、労働運動、内ゲバ、そして現在の活動を時系列で捉えることが大切です。
革マル派と中核派の違いは、同じ思想的出発点から、革命を実現するための組織と運動の方法が異なる方向へ発展したことにあるのです。 (出典: 革マル派 中核 派 違い(Yahoo!ニュース))